例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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おすそ分け


 外へ置いた亀たちの様子を見に玄関を出ると、亀の水槽の蓋代わりにしている網に袋に入った枇杷の実が置かれていた。
 枇杷の樹が植わった弐軒先から届いたと見当はついたが、念の為防犯カメラを確認すると間違いなかった。亀に興味を持ったらしく腰を屈め窺っている姿が可笑しくも可愛らしい。

 彼が好きだったと想い、袋から枇杷をとりいっとう大きいのを差し出す。そして自分も口に入れる。あまくやわらかな実。
 こう云うのがいい。枇杷がみずみずしいのは、今洗ったからじゃあない。

 枇杷の実の空いた袋には玉葱をいつつ詰めた。其れをもうひと袋こさえた。
 玉葱は今朝いとこから届いたものだ。皮が上の方まで付いている。後で結わえて吊るしておこうか。採りたての玉葱はあまい土の匂いがする。

 弐軒先と前にレタスを戴いた肆軒先の家まで玉葱を届けに、手提げ袋を肩に掛けサボサンダルでてらてら歩く。
 角に咲いた真っ白な紫陽花に、こんにちはと声を掛けた。

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勝手にしやがれ


 的外れな応答も困難な意思疎通も文章を正確に読まずに自分の解釈で読むこと因るものだったのだろうか、と相手(かつて苦しんだ人たち)を想像するが、自分には既に関係ないことであり、もう壱度そのような者に出くわしたならあたしは迷わず其の場から離れるだろう。
 自分が書く詩や散文は誰に見せるでもなく日記と同じで、読み返すと唖然となることが多く、自身を叱咤するばかりだ。普段からこうなので手紙や会話も酷いものではないかと想うが、相手は意識する。
 折角相手が存在するのに、自身の解釈(だけ)で話を進めても何の発展もなく愉しくも何ともない。ひとりで行動することの多いあたしが言ったところで信憑性はないだろうが、自身(だけ)の解釈なんて他を不快にさせるものでしかない。
 自身(だけ)の解釈はあくまでひとりで。妄想して終わらせる分にはいいかと想う。

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リセット


 あたしの手には「ジャズと爆弾」と題された文庫本が乗っている。開高健の此の小説、面白かった、と彼に話すと、うん、と返事をする彼。そして自分も読んだよ、と。それで、今「百年の孤独」を読んでいるのだけれど、趣向がまる・・・と言いかけ、音楽が聞こえ目を覚ました。

 音楽は陸時にセットしている目覚まし時計の音楽だった。
 余程でない限り目覚まし時計が鳴る前に目を覚ます。疲れていたのだろう。
 それにしても意味不明な夢だった。「ジャズと爆弾」は開高健の小説ではないし、まる・・・の後に続く言葉は何だったのだろう。

 不可解な夢はリセットしてしまおう。
 黒のジーンズに、直したまま壱度も袖を通していない彼のシャツを合わせる。右腰と左肩から胸に掛け大きな花模様のある藍色のシャツは、襟を落とし袖を短くし、袖口にゴムを通したら割烹着のようになった。
 足元では亀たちが早くも餌を強請り、窓の外では鳥が誘うようにうたっていた。

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固定観念


 時間になり、いとこが迎えに来る。差し出されたのは御見舞いと記された袋だった。これまで週に壱度母の様子を見に来たり、度々家に呼び泊まらせてくれたりしていた者に対し、御見舞いの頭はなく恐縮しつつも有難く受け取る。
 前回見舞ってくれた叔母と叔父と別れた後、御見舞いがなかったことに疑問を感じてしまったのは、以前から彼らの母に対しての態度に違和感があったからだろう。其れは夫と夫の妹弟の関係性に感じたものと似ている。
 表面上は他の者に対する態度と相違なく見えるが、ひょいっと何かにつっかかり自分の内で流れが止まる。肆歳の頃には既にそうで、親戚の者が集まったときの会話など、今の叔母の発言が変だったと想い聞いていた。例え会話の内容が理解できなくても、妬みやひがみ、馬鹿にするものがそこに含まれているのは子供でもわかる。
 父親と喧嘩し家を出た夫を何かにつけまともになってと、勝手だと言っていた夫の妹弟。母と全く合わないと今でも想っている自分。其れをなかなか変えることはできない。けれど人は異なった見方をすることもできる。
 家族に何も知らせず或る日突然方向転換をしてしまう父を想う。
 こんな日はパンクロック。引き出しを開け皮のブレスレットを探す。

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ささやかな


 錆付いた鋏を砥石で磨き、襟ぐりが合わないTシャツを直す。
 日々のそう云ったことが、生きていたくない気持ちから掬いあげてくれる。

 届いたCDは、ジャケット寫眞からして映画の壱場面のようで引き込まれた。
 拾代廿代の頃夢中で聴いていたバンドも、途中から全く聴かなくなってしまったと云うことは珍しくない。若い頃は感覚のみで聴いていた。バンドが時を重ね身につけていったものがあるように、齢を重ね身につけていったものが少しは自分にもある。今も変わらず聴き続けているバンドの歌は、自分が何を削ぎ何を拾い上げどんな大人になってきたか教えてくれるように想う。

 塩バターラーメン。台所に立ったとき或のとき彼が頼んだものが蘇り、そんなものまで憶えている自分に笑う。
 幾つものささやかなことが集まりできた細い絲があたしのこれまでの日々。切れそうでいて切れない、長い物語。

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