今日の書き殴り
2025, Jul 20
空をおおってしまうかと想うほどではないものの、此の町でも百日紅がみつかり足を止める。
百日紅の花も、櫻貝を拾った海も、薔薇の公園も、記憶が上書きされることなく、例えば百日紅と言ったら或の通りと或の道に咲いていた百日紅が瞼の裏に笑う。
瞼の裏に浮かんだのは過ぎ去った時間ではあるものの、瞼の裏をみつめているのは今で、決して過去を懐かしむとか振り返っているのでなく、今の瞬間を感じていればこその胸の痛みが此処にある。
トイレットペーパーを黒い文字だけが記されている白い大きな紙袋に入れてみると、トイレがすっきりした。
トイレから続く洗面台も浴室も白。夏はあちこち扉を開け放しているので、余計白が眼につく。
胸に走る痛みを撫でるには白がいい。どうしてだかわからないけれど、白いものの傍で長い息を吐き出すと苦しさが抑えられる。
小学校にあがるまでともだちは猫に人形、白い紙にクレヨンに絵本、庭のスミレにえのころ草、父が納屋に置いていた古い道具。
つきあえるまで難しかった。乱暴にすると嫌がられた。なかよくなれば、どう表現していいかわからないほどやさしかった。
百日紅も白い色も自分に無理をさせない。泣いたり笑ったりしていられる。子供の頃の感覚が戻ってくる。それは彼とも等しく、あたしを倖せにする。