例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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黄水仙とアマリリス


 菜の花は散り終え椿だけになった藍色の花瓶に黄水仙を足し、鳳凰だか孔雀だかが描かれた紺色の花瓶には背の高い桃色の花ときいろのアマリリスを活け、水仙も弐本添えてみた。
 ほら、と彼の前に藍色の花瓶を置き、とうさんにも、と紺色の花瓶を傍に置く。

 今朝見たら、うちのアマリリスの莟がひとつ増えていた。
 ひとつと呼んでいるけれど、ひとつから花が幾つも咲くのでひと塊の莟と言ったらいいのかもしれない。濃いオレンヂ色の百合に似た大きな花は見事で、其れが花瓶に葉と一緒にひと塊どーんと云う具合に活けられているのを初め見たときは、母の性格そのままと想ったこともあり笑ってしまった。

 今日の面会では、呼吸が安定してきて、目を開ける時間が長くなり、呼びかけに反応するようになった母がいた。
 まだ予断を許さない状況でもあるけれど、良くなってきている状況でもあり、あたしは眼の前の母に集中する。

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雨天決行


 バシャバシャと大きな音をたて降る雨。
 いっとう歩きやすい鹿さん(と呼んでいる)の黒い布靴とリュックサックで家を出る。病院まで徒歩廿分。近くもないが遠くもない距離。傘は夫の使っていた折り畳み傘にする。重ねてたたんだビニイル袋も持っていく。
 集中治療室のベッドに横たわる母に看護師さんが呼びかけると、今日は薄目を開けた。拾分も持たずまた目を閉じ眠ってしまったけれど、あたしが来たことがわかっただけでも昨日からするとかなりな進歩だ。

 帰宅し払渡請求書の作成に取り掛かるが、何せまる肆年分だけありなかなか進まない。休憩に珈琲を淹れ、母に貰った孔雀の塗り絵で遊ぶ。
 羽を赤や黄で塗った母の孔雀は虹色の鳥になり、見ていると愉しさに笑ってしまう。大人で母のような塗り方をする人は珍しいかと想う。
 あたしが色をつけていく孔雀の羽は青や緑や黄で、母の孔雀のような愉しさはないだろう。けれどあたしにしては随分華やかさがあるものになりつつあり、こんな色使いもできるではないかと自身で自身の頬を指先で軽く叩く。

 どれもこれも今日中には終わらない問題。
 雨音が心地いいので、気にせず進んでいく。

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待ち人来ずたよりあり


 目こそ閉じたままで深い眠りに落ちているのか反応はないものの、時々口をもごもごとさせている母に昨日より落ち着いたものを感じる。壱時低くなっていた血圧が元に戻ったようで、顔には赤みが差している。衣服も下着からパジャマに変わっていた。昨日は肩を叩いたら反応もあったそうで、尿も出るようになったと看護師さんが教えてくれた。
 時折ピーと鳴る機器から出る音は、呼吸の回数が多くなったときだと云う。疲れちゃったよねえ、と母の肩の辺りを撫で、元気になろうね、と声を掛ける。

 病院から帰り母の部屋の卓に乗ったものを整理していると、母が塗ったものでない塗り絵が壱枚みつかった。確か貸してくれたと話していた塗り絵だった。よく見ると端に名が記されている。
 労わりあうことを覚えた者はやさしい。弱くなった自分のことだけで手いっぱいだろうに、同じような他者を気に掛ける。母には待っていてくれる人たちがいる。

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急変


 早朝いとこからの電話で起きる。母の様態が急変した知らせだった。
 家の電話も鳴らず携帯電話にも履歴が残っていない。かつていとこも父親の様態が急変したとき何故か病院からの電話が繋がらず、あたしの母からの知らせで知ったと言う。

 母の急変は心不全に因るものだった。脳梗塞は軽いものだったが其れが引き金となり心機能が低下したと説明を受けた。元々不整脈があったり心臓は丈夫とは言えず、年齢もあり他の臓器も余力がなく、薬剤の副作用が生じてしまったそうだ。
 今回心停止状態から壱命をとりとめ、心臓外科医師と薬剤を相談しながら治療を進めてくれるそうだが、話を聞く限りでは再度危険に陥る可能性が極めて高そうだ。

 此の参箇月半、ケーキやお寿司を一緒に食べたり、BSテレビが観られるあたしの部屋で映画やドラマを愉しんだり、デイサービスで塗り絵を褒められ自宅に帰っても進んで塗り絵をしたり、・・・。やっと空き巣事件から落ち着いたと云うのに。
 本人も口にしていたが、空き巣事件がなかったらと想う。親族だったことと、数年に渡り何度もあったらしく、相当母にストレスがかかってしまっていたことは体重の減少を見てもわかる。
 加害する者は証拠を盾に言い訳をし逃れれば終わりだと浅はかな考えしかないようだけれど、あたしたちが盗まれたのは金品や生活用品もだが、其れ以上に日々の暮らしであり、そして母の余命だったのだと想う。

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櫻の咲いた日に


 売買契約書に何の感情も湧かず、あれから肆年の歳月が流れたのかと想うくらい。
 自分が持っているのは底地で普通に売買する拾分の壱の値しかつかないと教えられている。確かに売値は安価だが、此の拾倍はと計算すると法外な値になる。兎にも角にも買い手の満足な値であるなら、それでいいかと(皮肉も込めて)そう想う。
 さよなら、とうさんが守ってくれた(眼に見える)もの。

 相手に対しても今は何の感情もない。既に記憶に残らない人になっている。
 さよなら、自分の都合よくしか生きていない人。あなたと切れてよかった。

 帰りのバスの窓に覗く川景色で、櫻が咲いたことを知った日だった。
 記憶に残る人は日を追う毎に輪郭がはっきりしてくる。其の輪郭があたしの胸を満たしてくれている。

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