拾分と永遠
2025, Jun 25
うとうとしている時間が多いのか、夢と現実が一緒になってしまっているらしい。中川さん、といきなりあたしの知らない人の名を口にする母だった。知らない、と応じると、もういなくなってしまったか、と残念そうに言葉を零す。それから、歩くのはたいへんだから皆で送ってもらっただの、梅が咲いているだの、と言ったあとで、ありがたいことだと何度も口にする。
話すうち意識の戻った様子に、いとこにじゃがいもを貰ったことや近所の人に枇杷の実を貰ったこと、お返しのお裾分けもしておいたことを話し、家のことは心配しないで、と言うと、またありがとうだのありがたいだのと何遍も言う。
頭から嫌なことが消えたのなら嬉しい。
アイフォンで寫した鉢植えの花の寫眞を見せると、あらあらあと笑う。姫林檎も莟をつけたと話し、花も元気になったのだからかあさんもお水を飲んでご飯も少しは食べて夜はよく眠って・・・、と言い病室を後にする。
わずか拾分の面会。
其処にはあたしだけ眼にしたこと耳にしたことが存在する。日々はそう云った些細なことの積み重ね。そして其れ以外の彼女の時間にあたしは介入できない。其れは誰にとっても同じこと。
病院を嫌うでもなく、誰かを思い出しては感謝する彼女。其の時間が何者にも侵されることのないよう願う。