例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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やさしい世界


 或る程度の齢になるまで、周囲の同じ齢くらいの子たちが怖くて仕方なかった。
 猫がすごぶる気遣いのできる生き物だとは知らず、彼女が大好きで毎日べったりだった自分。彼女は誰よりも自分の家族だった。毎日帰宅後に出迎えてくれ、毎日一緒に遊んで一緒に眠ってくれた。意地悪な言葉も傷付ける行為もなく、悲しいときはそっと傍にいてくれる。期待も損得勘定もないやさしい世界。
 其の後苦労することになったけれど、或の信頼しきった関係は宝物になった。

 気遣いも信頼も他人に対しての気持ちや行いであり難しいけれど、誠実であることは自身ひとりですることであって決して難しいことではないと想う。
 小さな生き物に、あたしは教えられてばかり。

 うとうとして、はっとなって起きた午后。夢を見ていたような、そうでなかったような・・・。
 一瞬そこにあると想ったやさしい感触も夢だったのだろうか。

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      郵便箱

湿った空気


 霧雨が降る朝になった。寒さに肩をすぼめ郵便受けから新聞を抜き取る。
 寒くても霧雨ならば濡れたいと想うのは何故だろう。
 此の頃たまに咳をする。寒暖差から来ているのか、乾燥してきたからなのか、はっきりしない。ただ湿った空気が気持ちいい。
 家の中に入り塵袋をひとつ抱え、また玄関を出る。傘は差さない。

 拾壱月だったと想う。日の出を観に行こうと誘われたのは。
 靄に包まれ輪郭がわからなくなってしまった景色と橋の上に昇った太陽は、水墨画を想わせた。幻想的な風景は異国に迷い混んでしまったようでもあり、あたしはカメラを放さなかった。

 睡眠時間の多いあたしと違い、彼は夜更かしでもあり早起きでもあった。よくひとりで自転車に乗って出掛けていた。
 彼が教えてくれた景色の数々。ひとりでは弐度と行けそうにない場所を思い出すと(先日も駅を降りて東京都美術館に行くのに迷っている)、頬にあたる湿った空気。川沿いの道ばかりふたりで走っていた。
 霧雨の朝になった、と彼に掛けた声が弾んでいた。

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      郵便箱

ウォーターヒヤシンスバスケット


 同じような籠ばかり購入するので彼は笑っていたけれど、特にヒヤシンスと記された籠は軽くやわらかく使い勝手がいい。
 一緒に使う細々としたものを其処に放り込み定位置にしまい、籠ごと取り出し使っては戻すの繰り返し。ファイルケースを入れられる丁度いい大きさのものがみつかれば、いっぺんに伍個くらい買ってしまうのにと想う。

 ヒヤシンスをどうやって籠にするのだろうと想っていたらヒヤシンスでなく正しくはウォーターヒヤシンス、ホテイアオイの別名だった。
 亀たちの水槽の水が高温になるのを少しでも防ぐため毎年夏になるとホテイアオイを買ってきていたが、夏に食欲旺盛になる彼等はせっかくのホテイアオイを喰い散らかしてしまっていた。
 ホテイアオイは薄紫の綺麗な花を咲かせる。奇蹟的に残ったホテイアオイに花が咲き亀と一緒に寫した寫眞は、貴重な壱枚になった。

 いつか古代蓮を観に行った池の隣の池に、ホテイアオイが隙間なくぎっしり浮かんでいたことを思い出す。其処にも彼がいて、手を伸ばしたバスケットの向こうにも彼がいた。

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      郵便箱


 暦を購入する季節になったのかと想いながら、目をやっただけで通り過ぎる。
 きっと鳥も猫も亀も季節を知っている。自身の暦を持っている。稀に、あっ此の瞬間と想うこともあたっりするけれど、残念ながら自分には暦がない。
 急にご飯を食べなくなった亀にそうか・・・と想い、家で過ごす際裸足なのに変わりはないものの取り敢えず冬用のスリッパを出した。季節と並べず、そんなふうに季節の少し後を辿っている。

 何故或のときあたしが泣いたのかわからないと彼は言ったけれど、ああ云うことを言ったあなたを美いだなと想ったから泣いたの。そんな簡単なことをどう云うふうに言えばいいのかわからなくて、今になって打ち明ける。
 でも、遅かったなんて想っていない。もし彼がそのことを憶えていたなら、時間を掛けた後何かしら気付いたのではないと想うから。

 ひとりでいるときは部屋の中の扉と云う扉を少しだけ開けておく。区切ることが苦手。自由に行ったり来たりする感覚が好き。
 過去も未来も今と云う時に存在するものでしかなく、其処に淡々と呼吸を置く。

 見えそうでいていて見えないと想っていると、ふいに現れるもの。或の歌も或の絵も時が運んでくる。
 暦は気にしなくていいと何者かが耳元でささやく。きみに刻まれたものを受け止めなさいと。

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      郵便箱

人参の葉


 人参の葉は森で生きる羊歯に似ていると想う。或の青々とした濃厚な緑の群生、且つ繊細な姿は、あたしが想い描く野生の生き物そのままで、見た途端笑みを浮かべてしまう。
 落とした葉をそのまま花瓶に活けても綺麗だし、ザクザク切ってオリーブ油で炒めたりさっと茹でたりして食べてもおいしい。

 暫く人参を食べていなかったことを思い出し、根の方は皮引きで壱本薄きりにする。味見に口に入れると濃厚な味が口に拡がった。ドレッシングも塩も要らなかった。葉とトマトと蒸し鶏を盛り合わせ夕食にする。
 天麩羅にしたりもしたけれどさっと調理して食べるのおいしいね、と彼に差し出し、彼には缶ビール、自分には最後の薔薇茶を添える。

 毎日休日と言えば休日、そうでないと言えばそうでない毎日が続いている。そのくせ妙に疲れている。自分は精神面の健康が躯に露骨に現れるようだ。
 ときどき襲ってくる強烈な眠気に為す術もなく、植物になりたいなどとつぶやいては時間など構わず倒れるように横になる。壱瞬瞼の裏に現れる緑。余りに美しく泣いてしまった。

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      郵便箱