例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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忘れられないもの


 毎朝「おはよう」と彼に挨拶しては笑う。珈琲豆を挽いては、匂いに彼がしていたことを想い倖せな気分になる。亀たちに餌をあげ、水槽を出しては彼の声を聞く。
 夜になって布団に潜り、縁を切らされた人たちの言動を思い出しては悲しくなったり腹が立ったり泣いたりする。
 夜中眠れなくなっては死にたいと想ったり、目覚めが辛いと想ったり、ようやく躯を起こし顔を洗い、花瓶の水を取り替える頃になるとベットでの彼の姿を思い出しては頭や躯が軽くなり透き通っていくのを感じる。

 通院していた医者からコロナだから来るなと言われ病気の発見が遅れたときも、転移がみつかったとき担当医に見落としではないと言われたときも、治らないとわかったときも、そんなことどうでもいいとでも云うようにすることをしていた彼だった。
 母が入院しまたひとりで暮らすようになり参週間余り、自慢話も愚痴も聞かされずに済むようになり静けさが戻ってきた。(気付いたら過食になっていて体重が増えてしまったけれど、自己嘔吐にまでならずに済んだ。)

 今日も手紙もメールも返事ができなかったなと気にしつつ、例え彼らの日々が残酷なものだったとして、美しいものを感じていますようにと想う。

 忘れられないもの。其れは今も此処にあるもの。

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      郵便箱

「普通」


 面会を終えた帰り道、風が気持ちよく麻入りの紺色のワンピースの裾をゆらゆらさせながら歩く。ふと頭に浮かんだのはひとりの女優だった。出ていると見てしまう女優さんと云うのが何人かいて、彼女も其のひとりだ。
 或る話の中で彼女はオレンヂ色の服をよく来ていた。何処かふわっとした元気な女性は、あたしが勝手に描いている彼女の像そのままで、余計オレンヂ色が印象に残った。
 そうして彼女を想い描いていると、或るともだちが頭に浮かんだ。実際逢ったことは数回しかないが、彼女にはビタミンカラーが似合うと想っている。
 「普通」なんてものはないのかもしれない。けれど想像する「普通」はおだやかで温かく、屈託のない笑顔と誰でもあるのではないかと想うことをさらっと言葉にできる素敵さ・・・。気負いがなく見ていて疲れない。其れがあたしが想う彼女たち。
 其のともだちに今から数年経って手紙を送っても、引っ越ししてたなんて今頃手紙を送ってくるなんて××らしい(笑)、と「普通に」返事をくれるような(然もやはり数年経って)気がする。

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日々


 今日は綿毛布弐枚を洗濯。アマリリスはたじろいてしまうほど見事な花を咲かせている。陽の当たる場所は日毎移動している。其れにあわせ亀たちの置き場所も移動する。
 雨の日でもない限り花の水やりは欠かせない。毎朝のように顔をあわせるようになった隣の人と挨拶を交わす。越す前のような苦痛はない。何の違和感もない人と云うのはどんなに良い人であるか、そのことがよくわかるようになった。
 花瓶の中の芍薬も見事に花開いた。冬のようにはいかず、水が汚れ毎日茎を短くしなければならなくなった。壱週間ももたないかもしれない。其の果敢無さと相まって余計芍薬が美しく感じられる。
 日々は結構残酷なもの。けれど意図していなかった美しさも突如として現れる。乾燥花にする気はなかったねこやなぎが、端の欠けたリトルミイのマグカップに行儀よく納まっているのを見ては、「大丈夫。」と口にする毎日。

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蓄え


 母の衣服はうっかり洗濯籠に放り込めない。必ずポケットに飴だのティッシュペーパーだの、薬だのが入っている。其の衣類を衣装ケースに入れず、適当な籠や箱に目覚まし時計だのデイサービスのお知らせの用紙だの湿布薬だの小銭を入れた袋だの封を切ったお菓子の袋だのと一緒に押し込んでいる。或いは布団の上に無雑作に置いている。そうしているうち毛布についてしまったのだろうか。
 飴のようなべたべたとしたものがついた毛布を洗濯機に入れてみるとなんとか入った。均衡も崩れなかったらしく洗濯機が途中で停止することもなく、玄関脇の丁度いい場所に拡げた毛布に汚れはなかった。
 母は掃除は滅多にしない。父が亡くなり拾数年、浴槽やトイレを壱度も掃除していなかったと知ったときは衝撃だったが(そのくせ実家に行くと掃除機まで持ち出して掃除するのはどう云う心理が働いてのことなのだろうか)、母の物を勝手に掃除したり整理したりしても怒らないのをいいことに、母の物も適当に手を加えるようになった。但し何故かスーパーで貰うビニイル袋を棄てることに対しては文句を言ってくる。弐佰枚も参佰枚も溜め込んでいて然も汚れて使えないものが一緒に入っていても、(壱割残しても)、棄ててしまうのは気に入らないらしい。
 ぶ厚く立派な毛布を干すのも結構たいへんだと言い、ここぞとばかりにあたしはビニイル袋を棄てている。使ってこその蓄え。あとはあたしが決して使わない拾弐袋もある白い砂糖をどうするかだ。

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今年初めての半袖


 今年初めての半袖、サスペンダーの付いた綿のやわらかなカーゴパンツ、合皮の白い紐靴。右に深紅とうす紅色の芍薬の入った花束、左に今朝掘りたてとシールの貼られた筍を抱え歩く。
 帰ったら窓と採風ドアを開け空気が通るようしよう。それから保温鍋で筍を茹で、スリッパは中底が竹でできているものと替えて(履かないかもしれないが)、珈琲はアイス珈琲にして、アレルギー疾患の薬も飲んで、・・・。

 昨夜眠れなくなったことが何処か遠くへ去っていく。
 辛い夏の始まりもあった筈なのに、此処にはただ曲がったあたしの脚があるだけ。傷痕は消えない。起こったことは無にならない。けれど向こう岸に追いやることはできる。
 蓮の花を見ることはさすがに無理だろうか、と彼と眺めた大きな池を想い浮かべる。昼間なのに向こう岸は雷空が拡がっていてとても暗い。こちらはこんなにも明るいのに。

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