例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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よかったね


 此の冬は下着さえ買わなかったと想ったとき、秋は、夏は、と思い出し、はたと気付く。服を買う気が無くなっている。

 彼と一緒に店に入り気に入った服の前で立ち止まる。買うの?と彼に訊かれ買わないと応える。また其の店に行くと、同じ服の前で立ち止まる。また買うの?と訊かれ買わないと応える。そしてまた其の店に行くと同じことをしている。値の下がった服に、彼に買えばと言われ購入すると云う具合だった。
 そうして帰宅し買ってきた服に着替え、(安く買えた)どうだあといつも彼に見せていた。彼はよかったねとにこにこと応えていた。
 知らなかった。彼に見せることが愉しかったなんて・・・。

 春になるまでに壱着、ワンピースかブラウスを購入しようか。それも少し値が張るものを。
 彼の前に立ったら、どう応じてくれるだろう。よかったね、の言葉しか思い浮かばないのだけれど。

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ガウン


 カーディガンを出す為に桐箪笥の引き出しを引く。不織布に収めまるめて入れたものからひとつ取り出す。取り出したのは灰色の霜降りの彼のカーディガン。
 長めのカーディガンはあたしが着ると膝まで届き、まるでガウンのようでパジャマの上に着るのに丁度よかった。元々袖口が折り返すタイプのもので、袖も手首の先まで行くことはない。

 誠実に生きることは難しく、何度も逸脱し其の都度正すの繰り返し。そもそも誠実と正直は必ずしも一致するものでなく、人格がしっかりしていない自分は答を探し悩むことになる。
 初めに抱いた気持ちに戻ろうとするとき、いつしか其処に彼を感じるようになった。気付かなかっただけで、ふたりの時間ができたときからそうだったのかもしれない。考えると恥ずかしくなるくらいあたしは眼の前のことに集中するだけで、特に自身に対する意識に無頓着だった。

 ついていけない。そう言わなかった彼。
 未だに地平線を見てばかりいるあたしを、白いものばかり想像して愉しむあたしを、駄目なあたしを今も彼が包んでいる。

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ブルーベリィジャム


 砂糖の味しかしないジャムが子供の頃嫌いだった。大人になり試しに甘さを肆拾パーセントカットしてあると記されたジャムを買ってみたが、やはり砂糖の味しか感じられずジャムは好きになれなかった。
 或る日黒すぐりのジャムが売られているのを眼にし、黒すぐりの味が大好きなあたしは嫌いなジャムだとわかりながら手を伸ばさずにいられなかった。其れが仏蘭西のジャムだった。砂糖の記載はなかった。初めてジャムをおいしいと想った。それから伊太利亜のブラッドオレンヂのジャムととオーストラリアのさくらんぼのジャムも買うようになった。
 此の町に今まで口にしていたジャムはなく、仕方なく果実のあまさだけで作ったと記された国産のジャムを試しに買ってみたところ、想像を裏切られ嬉しかった。今までどんな国産のジャムを戴いても砂糖の味しか感じられなかったのに、ちゃんとブルーベリィの味がした。

 新しくものを知っていく。
 過去は脳裏に収まっていても未来は全く眼に見えず、彼から遠ざかっていく感覚に襲われるけれど、実際は逆なのかもしれない。
 いつ自分が絶えるのかわからなくても、生まれたときから死に向かって歩いているのは間違いなく、あたしは日毎彼に近付いているのだと想う。

 ブルーベリィが安く売られていたとき買ったらいいのにと彼が勧めたブルーベリィは瑞々しくおいしかった。
 ブルーベリィジャムの傍らで過去と未来が交錯している。

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想像する


 1と記されてあるならば、其処には静物が壱個置かれているのかもしれないし、人ひとりを表しているのかもしれない。ざっくりとした想像しかできないけれど、存在を蔑ろにするのは悲しい。
 自分の欠点は夢見がちなことかもしれないが嘆く必要はなく、良く言えば想像できるとも言えるのかもしれない。人は自身の欠けた部分を自身が持つ他のもので補えると知ったとき、卑屈にならなかった自分をあたしは自身で人知れず撫でた。

 己の事情を盾にし、こちらが融通の利かないと責める者に想う。事情の無い者など存在するのだろうか。そんな相手に浮かぶのは想像しない人間像で、確定申告をする季節になると溜息が出てくる。
 是まで壱度も受け取っていない供託金はどれくらいになったろう。解決まで僅かとなったのでそろそろ受け取っても良いでしょうと先生に言われたが、其の日までこれからも供託書は先生に預けるつもりでいる。
 あたしは自身の都合を押し通したり、其のことで虚偽を働いたりはしないだろう。相手が苦しむ様を想像するとぞっとする。

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菜の花、たんぽぽ、山吹


 水仙とねこやなぎを活けた花瓶に菜の花が足される。土手で抜いてこようかと想っていたら、床屋に行った母が抱えて帰宅した。
 菜の花は床に零れるので花瓶の周りに薄紙を張り飾ると豪華な雰囲気になった。普通の白い用紙でなく、鳳凰が描かれた青い花瓶に似合いそうな用紙を今度買ってこようと想ったくらい部屋が明るくなった。

 春は遠い。でも其処へ向かっていることを花ひとつにしても感じる。
 戸棚が届いたら、陽の向きが変わったら、・・・。したいことが沢山あって、箪笥の引き出しを開ける。取り出しのは、地味な色合いが気に入っているたんぽぽの柄のハンカチ。其れを拡げて机に掛けた。
 花の中を通り過ぎる。美しい時の中を通過していく。寄り道が絶えないあたしの先で彼が待っている。嗚呼、あなたは山吹の花が好きだったな、と想う。

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