例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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檜の板


 梯子の汚れを落とすと、今度は塀が気になった。
 鉄製の引き戸の下のレエルが半分無くなっているが、叔父が取ってしまったと聞いている。錆止めスプレーを吹きかければそれなりに動くのに、何故取ってしまうのだろう。空き巣に入るとき、音が立たなくて都合が良かったのだろうか、・・・とそんなふうさえ想えてくる。
 其の引き戸は両脇の塀のトタンと同じに青いペンキで塗られている。母も意向は訊ねられなかったと言う。よりによって嫌いな青か、と眼にする都度あたしの落胆の気持ちが大きいことなど叔父は想像もしていないだろう。然も其のペンキがあちこちについたり落ちたりしているのだ。

 屋根も塀もまた工務店に相談する考えでいるが、トタンの内側に使われた板を見ると、雑巾で拭かずにはいられなくなった。
 檜だと想うのだが、拭くとやはり綺麗な姿が現れ、撫でてしまっていた。特別注文しなくとも昔はこう云う板が普通に使われていたことに感心する。

 自分が良いと想ったものは何年経っても良いと想えるし、好きなものは何年経っても好きなままだ。其処に安易に他人は入れない。

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木製の梯子


 父の使っていた木製の梯子を玄関の脇に立て掛けていたが、叔父の付けた青いペンキがずっと気になっていた。
 先ず埃をかぶった梯子を固く絞った雑巾で拭いていくと、杉板のような焦げ茶の色が現れ驚く。こんな綺麗な姿をしていたのかと想うと、青いペンキの跡がますます汚らしいものに感じられ、叔父のしたことが改めて腹立たしくなった。と言っても屋根のペンキの塗り直しは関係が良好だった頃のことで、好意でしてくれたことだろうからと想ったあとではっとなった。
 父が亡くなり此の家と土地を継いだのは母だと叔父は想っているだろう。いとこの継いだ畑のことを考えても、或の頃から此の家を好きに使おうとしていたと云うのもあり得る話ではないか。
 拭いたあとはヘラを使いあちこちについたペンキを剥がした。うまくれ剥がれないところには紙やすりをかけた。長い間に左右の長さが違ってしまったが、あとで鋸を使い合わせればいい。但し鋸は叔父が持って行ってしまい家に無い。塵でしかないペンキの空き缶とか使ったあとの汚れた道具ばかりが家に残っている。父ならそんな使い方はしない。
 汚れを落とした梯子は色が良く木目も綺麗で想わず撫でてしまう。見上げたあとで、自分でも想っていなかった言葉が口を突いた。これで守り神が元に戻った。汚れを落とした梯子にはそれほどの存在感があり美術品のようにも想えた。

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取り敢えず


 窓の下の部分についているのは下枠と言うのだろうか。太さ捌センチばかりの板に紙ヤスリを掛けていく。弐階の窓は全部で陸つ。綺麗にするまで壱週間見ればよいだろうか。
 表面がざらざらしているのがずっと気になっていた。玄関の上がり口に弐段になってついている板もざらざらで、仕方なくマットを置いている。ヤスリを掛けただけで滑らかになるなら、初めからそうしてと想うのだが・・・。

 壱度目の改装時に床を上げたとき、母が塞いで欲しいと言った扉を勝手口があった方がいいと塞がず手前に段をつけて処理されたが、慣れない頃夜中にあたしは其処に落ちた。それとトイレの位置とで支払いのとき大工と揉めたのだと想っていたが、縁側の板の処理など見ると細かい部分で母が気に入らなかったことがよくわかる。
 結局勝手口は壱度も使われることなく弐度目の改装で塞がれ、台所に新たに勝手口をつけてもらったが、或る程度の広さがあるので使いやすく不満はない。

 取り敢えずはあくまで取り敢えずでしかなく、再度考えることがなければ初めから取り敢えずなんてものは要らない。
 右手の怪我がまだ治ってないのだけれど、と言いながら自分なりにあちこち此の家を直している。古くなったのなら仕様がないがそうでない部分もあり、少しだけ腹を立てながら。

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このまま


 親戚宅へ出向くので御仏前の袋を用意してと彼が言う。其の際名前に気をつけてと言われ、あたしの名でなく彼の名を書いてくれと言っているのだとわかった。極壱部以外親戚の者に彼のことはまだ伏せたままでいる。
 あたしも彼自身も彼が現在どう云う状態なのか理解している。そのうえであたしが今も彼と暮らしている感覚でいるように、彼もまたそうなのかと想う。

 夢から醒め、例え夢でも彼もそうであるなら、髪が真っ白になり歩行がしっかりしなくなるまで生きていてもいいかなと想った。

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混沌


 日常について考える。
 確かに以前と異なる日々を送り過ごし辛さはあるが、非日常的なものは感じておらず、彼と過ごした日々が落ち着いていただけで、気付けば幼少の折から周りに感じている不穏なものや足元が壱センチ浮いていたり絶えず光と影のようなものが眼の前を交錯している感覚など混沌としたものが存在するのに変わりない。何も考えこむ必要はなかったのだ。

 菜の花のはなびらは毎日床に落ちる。人の日々に似ているなと想う。
 けれど、間近で彼の死をみつめていたのに、自分のこととなるとわからない。毎日毎日自分もあんなふうにはなびらを落としているのだろうか。
 昨日と同じようでいて違う壱日。なのに些細なことなど気にも留めず壱日を昨日と同じに今日と呼ぶ。そんなにも軽いあたしの日々。日常と云う言葉が眼の前を行ったり来たりしている。

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