例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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町を知っていく


 捌千歩で歩き廻れる範囲。櫻並木のある場所。洋菓子店。川沿いに拡がる風景。書店と言える書店、文房具店と言える文房具店、洋品店と言える洋品店がないこと。其れが壱箇月で覚えたこと。
 どの町に越してもすることは同じ。歩いて細い横道に入っては、少しづつ町を知っていく。どの町も違うようでいて少し似ている。
 土手の道を歩き、遠くに見える橋や山並みに、草むらで囲まれた川に、これまで出逢った景色が重なる。彼の後を追い自転車で下った坂道の脇に拡がっていた麦畑や、お弁当を広げた橋の下や、逆光に透けるようにゆれていた芒や、春には頭上いっぱいになった櫻の花などが顔を出し、あたしの乾かぬ頬を撫でていく。
 土手の道を自転車で走ることはもうないかもしれない。新しく知った景色に指をさし、彼に教えながら歩いていく道は悲しくて愉しくて美しい。

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失敗


 プリンターとアイフォンは繋がったが、エラーが表示される。印刷しようとすると操作パネルが上がらず、トレイを△が見えるまで引き出してとあるが△が何のことかわからない。
 頭を悩ませること今日で幾日目だろう。もしかしたらこれまで引き出していた上の部分も引き出せるのだろうかとふいに想い、引き抜いてみると△の印が現れ、処理を始める音が聞こえてきて、参分も断つとエラーの表示が消えた。
 自分が引き出していたのは用紙をセットするカセットであり、プリンターが促していたのは排紙を受けるトレイだったことをやっと理解する。

 何故これがわからなかったのだろうと想う失敗を時々する。受け容れて笑うようになったけれど、それでも胸はちくっとしたりする。

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珈琲を淹れる


 胡桃の卓の上に置いたままにしていた珈琲ポットやミルを箱から出した。設定など替える必要もなく出したらすぐに使えるとわかっていても、気持ちが落ち着いてこなかった。
 此の家の改装をする以前にまとめた荷と引っ越してきたときの荷を交互に整理し設置を繰り返す毎日。読書も映画を観ることも音楽を聴くこともない生活がひと月以上続いている。
 今朝、お気に入りだった大きなたんぽぽが刺繍されたカーテンを塵出しの為だけに付けた台所の出入り口に掛けてみた。傍には小鳥が止まる鉄製の吊り籠を下げ、乾燥花にしたからすうりの実と鬼灯の実を飾った。以前と同じようでいて同じでない、同じでないようでいて同じなような光景。
 久し振りに耳にするミルが珈琲豆を砕く音がやさしい。其処に彼が立っているのを感じる。

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人と人


 噛み喰いしばり)癖のある自分に、歯科医師が作ってくれたマウスピースを装着するのを忘れ、昨晩は眠ってしまった。次から何処の歯医者に通えばいいのか、まだわからずにいる。
 先週いつものようにやってきたいとこが、今日(正月)は来なくていいので親父の命日に一緒に墓参りに、と急に言われた時は先に電話くらいと想ったが、彼の性格を考え納得した。彼には前もって壱から拾まで確認する必要があるが、其の代わり昼食は食べさせてくれるのでしょう?と訊いたとして気を悪くする人でないことを知っている。彼は彼でそれで他人から好かれてきたのだろうし、あたしはあたしで細かいことで疎まれもしただろうが信用も得てきた。

 人と人。性格なんてどうでもいい。嫌いな性格などなく、性格が悪いと想った人もいない。性根の腐った者とはつきあいたくない。それだけだと想う。

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いつか


 工夫を重ねてみるものの、以前使用していた洗濯機ラックが設置できず処分を決める。それに拾年使用しても気に入った物にはならなかった。
 浴槽もトイレも掃除したことのない母の道具は、どれも汚れが付着していたり錆付いていたりして使い辛い。無ければ無いでどうにでもなるのが持ち家の良いところだろうか。
 此の家を住処と想えるまでどれくらい要するだろうか。いとおしく感じられるようになるのはいつの日だろう。壱日に壱日たいしたこともできず、することは隅から隅まで全部で、計算もできず見当もつかずにいるが、やりがいがあるとも言える。
 いつか、と想う傍らで亀が何事もないように歩き廻っていた。

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