雨の日と編み物
2025, Jun 04
此の前カーディガンを編み終えたのは参月半ばの頃だったろうか。此れも叔父夫婦が持ち出したのだと想われる、あちこち虫喰いで傷んだカーディガンの編み直しを始めたのは其の後だった。今日のような壱日雨が降る日で、傍に母がいたことを憶えている。
幾ら絲が細いと言え弐箇月以上掛かっているとは、余りにも進み具合が多過ぎるが、いたしかない。壱日壱度毛絲にさわれなくなった。それでも気持ちを強く持つためにも、此の単純作業を行うのが壱番いいと想っている。
あとは裾と襟の部分を編み、釦をつけ完成となる。進んでいるのは確かだ。
和室に置いた桐箪笥の引き出しには、着物でなく手編みのものを入れている。扉が付いている上の引き出し数段には母のもの、下の引き出し数段はあたしのものを。あたしのものは半分は夫に編んだものだが、ふたりのものが綺麗に収まっている。収まりきらない母のものに、彼女の落ち着いた暮らしがうかがえる。
其れとは異なり、どうしてもうまくできないと母が残していった毛絲には、おだやかでない心情が表れている。
なかなか止みそうもない雨。耳に届く音に自分を合わせていく。余分なものが削ぎ落されていく感覚。
雨の様子を見に家の外に出てみると、鉢植えの柘榴が花を咲かせていた。