家族
2025, Jul 24
父は父で母は母で兄弟は兄弟で、家族と云う概念が自分は欠如していたのだと或る程度の齢になり想ったものだったが、今も其れはあやふやなものでしかなく家族と言えば夫なのだ。
公的な書類と自分とが乖離している自覚はあっても意識の問題であり、対処できるので、此の先も乖離したままだろう。
問題は困ったことがあっても、家族がやればいいんじゃないですかと済まされることがあることだ。現在でも病院や行政でも此れしか言わず結論にする人がいて、その対応に感心するばかり。
子供の頃、田舎の何処の家にも存在した祖父母がうちにはいなかった。
父を忙しい人だと想っていたけれど、人が少ない分動いてたいへんだったかなと今になって労いつつも、家族と云う言葉は自分に入ってこない。
家族の言葉より、いつも其処にいた人、損得の無い人、道理のしっかりしている人、うんと腹も立てばうんとやさしいと想う人、そして今でも其処にいてくれる人、・・・と想い描けることの方が嬉しいから、それでいい。