敬
2024, May 30
位はあたしたちに似合わず、今後位のない法名になることを好ましく想う。徳を積むと云う考えもなく、暮らしに於いて誠実であれば其れでいい。
寺に挨拶にあがると、戒名のように肆文字でなく弐文字になると教えられ、彼の法名の壱字は静にして貰った。其のとき父の法名を訊かれ、あたしはきょうを教と応えてしまったが後で間違いに気付く。父が頂戴したきょうは、物事を疎かにせずつつしんで行動する、と云う意味を持つ敬だった。
似合っていると想い頬を緩ます。もっとしっくりした文字があるかもしれない。また無いかもしれない。ただ受け取ったとき清々しい気持ちになれば其れでいいかと想う。
何かの拍子に思い出しては苦しみを覚える人がいる。壱方で想う都度心休まる人がいる。何処までもそうで、決して交わることはない。混じり気のない想い。つつしんで人に想いを馳せる。