例えば秘密のノートに記すように。

       cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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前略


 以前シフォンケーキ店があった場所に新しくできたのがタピオカジュース店だった。何故今になってと想っていたのに、今日其の向かいの食料量販店にいつものように買い物に行くとタピオカジュース店の前に行列ができていた。平日に関わらず凡そ参倍に増えているだろう人の出に、平日は兎も角週末はもう此処に来られないことを想った。
 何せあたしの心臓は蚤の心臓だ。事ある毎自分で想い付く最悪の脚本を用意してしまう。以前車を運転するのに他人を殺めてしまうかもしれないことを想ったら人は運転などできない、と聞いたときには嘘でしょうと想った。電車に乗車するときは毎回でないけれどバスに乗車するときは毎回惨事を想像するし、上空に飛行機が飛んできても其れは変わらない。他人に合わせることができないわけではないけれど苦痛を感じてしまう自分が今どう自粛をしているかと云えば、決して要請の下などでなく蚤の心臓に引っ張られてのことだ。

 衣類は今あるもので何とかなるだろうと想ったものの、夏は汗を掻き昼間着替えたりするのを思い出し急遽シャツを購入することにした。夏は体温が卅漆度前後になるので入り口で体温を測定されたときは気が気でなかったけれど入店でき、すぐ眼に止まった麻入りの白の開襟シャツが気に入り其れに決めてしまった。男性用だったけれどSもあり、生地がしっかりしていた。長い袖は折ればいい。壱枚でもあれば違うだろう。手にとり色や肌触りを確かめてから購入するのが好きだ。例えCDであっても書物であっても。

 人間は適応能力が云々とテレビ放送で見た覚えがあるようなないような。それとも図書館でだろうか。流れにきっとあたしは乗れない。何でも時間が掛かる。他人がとうに忘れてしまったことをいつまでも続けていたり・・・。他で補うことでないものを機能させることをこれからも新しく覚え続けていかなければならないだろうか。

 禄月がやってくる。うちのブーゲンビリアは青々としているものの、花芽と想われるようなものがやっとついた状態。遅いなら遅くていいのだけれど病気を心配してしまう。
 季節が移ろうとしている。今年も梔子の花が見たい。

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