例えば秘密のノートに記すように。

       cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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生活の他に


 アベノマスク不要な方は寄附を、のニュースを眼にし、未だに届いた話は聞いたことがなく近所でマスクが売られているのを見たことがない身としては残り少ないマスクの心配が厭になり、ミシンが無くとも手縫いの立体マスクでもいいかと作ってみたところ普通に使えるものができあがった。手拭で作ったマスクは金魚に花火に水風船の柄が賑やかだ。汗を掻き眼鏡の曇るこれからの季節は布の方がいいかもしれない。なくなったらガーゼのハンカチを折り畳めばいいかとも考えていたけれど、今度は麻布で作ってみるのもいいかなと考えたりしている。

 母が御世話になっているデイサービスに宛て書いた手紙に、此の間返事が届いた。コロナのことで更に忙しいことになっているだろうか、と躊躇しつつも電話すると、たいへん丁寧な手紙だったのでこれは返事をしないとと言われ、相手に見えないとわかっていても電話口で頭を下げた。手紙には母の依存症のことも書いた。此れまで母がする娘の話に娘を想う気持ちとは違う何かを感じていないこともなかったそうで、安堵した。想えば教師が苦手になってしまったのは、少なくともあたしの周りに於いては大人の話だけ聞き対処してしまう人間が多かったからだ。
 それにしてもたいへん丁寧な手紙をと云うのは今回も世辞だろう。手紙を書く習慣がない人には手紙自体が丁寧なものに感じられるのだろうか。あたしの人付き合いは大半は手紙のやりとりだけれど、自分には気配りも文を繋げるも欠けている自覚があり、文字の脇にちょこちょこ絵を描いたりして足すことにしている。

 実はオリンピック開催には全く気持ちがついていけずにいた。それでも東京の町を走るマラソンを想像して喜ぶ人たちに並ぼうとしていた。今日甲子園中止のニュースに初めてあのこたちは・・・と心が痛んだのが正直なところだ。伍月に行く予定だったライブと夏のライブのチケットと今弐枚持っている。驚くほど今いい状態に仕上がっていると想ったバンドだもの、延期でなく中止になっても払い戻す気になれないだろう。

 今は眼の前のことに集中しようと想い遺書を書き始めたけれど今回も変わりなく、村上龍の小説に出逢えてよかったとかローリング・ストーンズのステージを観れてよかったとかHARRYと握手できたことは忘れないとか、それから死んでからでも逢いたくない人の名前を書いたり、柩にはケロちゃん(人形)入れてとか花は梔子じゃなきゃ厭だとか、そしてできれば鳥葬にしてと最後に或の歌が聴きたいで終わる。此の拾年まるで同じだ。
 これから想像もしなかった世界がやってくるとして、生活の他に何が変わるのだろう。

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