例えば秘密のノートに記すように。

       cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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 母の家に新しく並んでいた捌柄の傘のうちの朱い壱柄を自分用に貰った。大きいうえ骨の数が多いように想えたけれど、和傘ほどでない。模様や色からし和傘に似せた洋傘なのだろうか。それとも今日風の和傘なのだろうか。お気に入りになりそうな気がしている。
 帰宅は大雨になった。折り畳みの日傘しか持っていかず、小振りの壱本を拝借してきた。開くとき壱段柄が延びるので気にはなっていたものの、家に帰るまで其れが日傘と気付かなかった。何せ千圓の黒壱色の日傘しか持ったことがなく、生地にしても裏の模様にしても大きさにしても柄が延びるにしても日傘に間違いないのに、大雨に耐えるものだから余計勘違いしてしまった。
 傘は母の幼馴染のところからやってきた。いつもなにかしらくれる人だと想っていたら、旦那さんはバスの運転手だったことを初めて聞かされた。ブランド名と思しき刺繍があたしには邪魔なのだけれど、巡り巡ってやってきたものを有り難く使わせて貰うことにしよう。(母は日傘を使わないので、このまま自分のものになるに間違いない)

 夕刻になり鳴った電話はいとこからのものだった。母が転んでしまった(がたいしたことはない)と聞かされたあと、明日にでもこちらへと言われ、速攻で無理と返事した。帰ったばかりなのと、銀行と郵便局の用事と、荷物の受け取りと、洗濯機の修理を頼んでいるのとで日が埋まっているのもあるけれど、もともと母に助けが必要なかったなら帰省はしなかった。
 半年ぶりに乗った電車であたしは幾度となく逃げ廻った。ふるえながら帰省しふるえながら帰宅した。気を遣いくたくたになり、帰省はもう懲り懲りと想ってしまったほどだ。考えていると苦しくなる。
 母や伯父の住む町々に緊張感は無かった。なにしろ人の数が違う。伯父のこともあるので恐縮しつつもいとこに母を御願いすることにした。いとこはまるで当然のことのように対応してくれた。いとこは何事にも対し、コロナ禍にしても淡々とし騒がない。受け容れる器が大きいのだろう。

 あまりに雨の日が多いのとコロナ禍で、梅雨時は救急車のサイレンが耳につく季節なことを忘れていた自分を自分で叱った。
 透明なビニイル傘はもう持つことない気がする。傘の中は静かで気持ちいい。自分で買った高額なしっかりした傘をいつかさして町を、歩きたい、ではなく座っていたい、と言ったところ。

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