帰省中の出来事
2020, Jul 29
壱昨日から銀行にドラッグストアにとあちこち廻り、黴の生えてしまった押し入れの掃除をし、布団や衣類を全部壱階へ移動させ、届いていた手紙などの整理をし、暫く帰省しなくとも母がなんとか生活できるまでにした。躓くことが多くなり、人口の骨を入れた脚をまた手術することになったらとこちらは気が気でないのに、杖を使うでもなく手摺りに掴まる習慣をつけるでもなく、靴に似たスリッパは踵を踏んで使うし立ち上がり用のステッキに至っては手前に物が置かれている。必要なかった拾伍年前にあたしがデイサービスを勧めた理由を母は知らない。
夕刻其のデイサービスから帰宅した母を迎えた直後だった。伯父の具合が悪くなり明日粥を作りに来て欲しいといとこから電話を受けた。
前立腺肥大症のある伯父は小水の出が悪くなることが多々あるそうで、検査も参度したそうだが特に心配することもなく、今回も血の塊など見られなかったそうだ。
さすがに米は作らなくなったと言え、葡萄にとうもろこしに南瓜に茄子に胡瓜にしし唐にトマトに・・・と其の齢でひとりでそんなにも畑仕事をするのはそろそろと親戚は皆想っているのだけれど、人のいい伯父は親戚や近所の人だけでなく親しくもない者がくれと言えば与えるのできりが無くなってしまう。勿論そう云う者が謝礼を持って来る筈もないけれど、伯父は嫌な顔ひとつ見せたことがない。
ひと足先に着いた叔母が粥とおかずを作り、母が小水を取り、目が詰まるだけ詰まった屑入れに殆ど機能しなくなった排水口と黴だらけの流しをあたしは掃除した。いとこは其の間墓掃除だのなんだのと車で数回出掛けていた。下のいとこはいなかった。遊びに行ったらしい。
お茶をすすりひと息つく間、あたしはテレビで観たTOKIOのニュースをぼんやり思い出していた。昭和的とか筋を通すとかの言葉が出てきたけれど、其の古い進め方をあたしは好む。好まないのは、色々進め方があるとしながら比較し一方を否定することだろうか。
人ひとりを想像しなければ人はなんとでも言えるのだろう。今日もあちこちで数字が並んでいた。