例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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みちくさ


 雨が降る。海棠のつぼみはふくらみ、ゆきやなぎは満開になった。想えば誕生日を迎えようとする頃決まって此の花が傍に咲いたのに、記念寫眞と言えば櫻と一緒だった。
 花ばかりあたしの傍にある。れんげ草や菜の花やすみれ、椿、牡丹、藤、野ばら、・・・。なんて多くの花を彼と見てきたのだろう。誰も知らないような場所をふたりでみつけ分け入り昼寝をした。光と風につつまれ手足を伸ばし、目覚めれば水を飲んだ。或のとき躯に入れたのは間違いなく心地いい旋律だった。空を渡る飛行機雲がうたう歌をも耳はとらえていた。
 水でなければあたしが飲むのは檸檬ソーダ水かオレンヂソーダ水と決まっていることを、彼はよくわかっていた。アイスクリイムならバニラ。そんなことも。
 花の咲く場所で、黙って手招きする彼の姿が浮かぶ。蜥蜴でもみつけたのだろうか。それともカマキリだろうか。彼は彼でそんなものばかり好きだった。それとアイスクリイムなら苺味。
 山櫻が咲いたなら、あたしはきっと彼を探す。喉が渇いたなら彼を呼ぶだろう。みちくさの先には不器用なやさしい手が待っている。

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漂泊者


 バスの時間がまた変更されていた。丗分は待たねばならず、歩くことにする。坂道を上り橋を行く。
 下に見える土手には菜の花が咲き、風が気持ちいい。いつか或の道をずっと先まで歩こうと想う。確かもうすぐ櫻も咲く。川の水は少なく今日は青にも緑にも見えない。遠くの山脈も空に並んでいない。夢のような光景にいつでも逢えるわけでない。ただ歩いている人は見当たらず、時折自転車が追い越していくだけ。
 鳥の姿を探すけれど鴉さえみつからず、それならと自分で声をあげる。「最後のコインは何に使うのさ」「Baby,野良犬にさえなれないぜ」。

 冬のコートは置いてきた。昨日まで寒くかあさんの(たぶん)うさぎの白いコートを借りていた。今日は着てきた春秋用の黒のコートで大丈夫。大きなストールを首に捲いている。
 橋を過ぎても歩き続けた。幾つ停留所を過ぎたろう。そろそろ時間かと想い振り向くと、道の先にバスが見え手をあげた。バスは少し行くと橋に差し掛かった。大きな川を越える都度町の様子が変わる。
 あたしは留まっても定まってもいない。流れている。

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忽然と


 領収書を整理していると、救急車で運ばれた先の病院の領収書がないことに気が付いた。薬が入れてあった袋こそあったが、説明の用紙もない。忽然と消えていた。替わりに電柱等土地使用料のお知らせが弐通現れ、首を傾げる。行動に目的も愉しさも悦びも感じられない。何がしたいのか全くわからない。
 海老の佃煮を御飯に混ぜおむすびを握ると母がおいしいと言うので、父にも拵え供えた。たったそれだけでもくすくすと笑える。そんなのが好きだ。
 父のやり方をなぞれば、父の存在を感じる。夫のやり方をなぞるにしても同じで、存在があたしを嬉しくさせる。悲しみと痛みと他人を思いやる気持ちが壱線上に彼らは並んで見える。何の疑いなど持たなくてよかった。是まで猫だって亀だって信用してきた。彼らはだいじなものを奪いはしない。それどころか想像もしなかったものを与えてくれる。
 家に帰ったらきっとまた忽然と其れは現れるのだろう。

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視認


 母の家の改装をするに別な建築士さんに相談する。話は聞いてくれるものの、今日の人は提案はしてこない。どんなものになるのか待つことになった。
 先に相談した人からは昨日図面を貰った。図面を手にするでも、自宅と母宅と行き来をしなければならず手間がかかる。けれど、以前介護サービスを使い改装した際、認定を受けている大工に全部任せたところ大失敗に終わり、目録と視認の重要性を痛いほど知ることになった。
 後で母から父が家を建てる際は傍に付きっきりだったと聞かされた。少しでも気に入るよう勝手がいいよう間違いが無いよう、そうして父が建てた家を思い出すと関心する。同時に母が直せばこんなものだとも想う。

 父がいた頃なかったものは沢山あってあげることができない。必要と言う言葉も父は必要としなかった。物があれば暮らしやすいわけでないことを、彼を見て覚えてきた。
 ひと目見て何があるかわからない家の中に、やり辛いと言い彼も是もとあたしはなくしていくだろう。そうしてあたしの口は、耳は頭は指先は、眼は笑うだろう。

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重み


 防犯カメラの書類を提出した。此れでどうなるわけでもないと想う。例え然るべき対応がされたとして或の厚顔な者たちは変わらないだろう。期待もしなければ、希望も持たない。安易な気持ちは必要ない。重さを理解する気がない者たちの、親戚だから、と、親戚なのに、と、何が起こっても普段の言い訳そのままの姿が浮かぶ。
 母はまだ言い足りないらしい。あたしは絶望を覚え何も言うことがない。インスタント珈琲の瓶でさえ持っていくときは持って行ってしまうので、リュックサックから取り出してドリップ式の珈琲を淹れる。持ち歩かなければならなく帰省の荷物が重くて仕様がない。けれど珈琲がおいしく飲めて、あたしはほどほどに機嫌がいい。
 夕食にと煮た南瓜を父に供え手を合わせる。盗み取ったもので人は倖せになれるのだろうか。金銭、物質、暮らし、・・・、と並べてみても倖せは出てこない。貸した金銭が戻ってこなくても、御飯に醤油を掛けただけの昼食で過ごしても、父は不幸になっただろうか。或の者たちは暮らしはそこまでに見えず、寧ろ贅沢振りが垣間見える。
 得って何と自身に問えば決して重いものでないものが、頭を過ぎる。あたしは要らない、と呟くと人も同時に消えた。

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