例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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青物


 冷蔵庫に残っていたのは賞味期限の切れたアンチョビ。買ってきた春きゃべつの青い葉をとり細かく刻み、アンチョビと一緒にオリーブ油で炒め、塩胡椒を振る代わりに人参ドレッシングで和えた。
 他に何を食べようかと想いながら箸をつけると、いつもなら弐日分になる保存容器いっぱいにこしらえたきゃべつ炒めは完食となった。他に何も要らなかった。
 昨日は昨日で買ってきたレタスにトマトと蒸した鶏肉で夕食にした。

 かあさんとふたりの夕食は煮物が多い。大根の煮物に魚の煮物に根菜煮にきんぴらごぼう・・・。ひとりだと余り煮物はこしらえない。其れは其れで愉しい食事になるけれど、参日も青物を口にしないと無性に躯はレタスやきゃべつを欲しがる。
 高齢になると躯が求めなくなるのだろうか。きゃべつの千切りこそよく食べていたものの、あとは野菜ジュースで済ませていた父を思い出す。

 夏になったら胡瓜にお味噌をつけて食べたいな。其れも種ができるまで育ってしまった大きな胡瓜で。
 里芋の大きな葉を見ているのが好きだった自分。緑系の絵具ばかり使って絵を描いていた自分。時々森へ行きたくなる自分。かつて新緑がともだちだった。
 あたしはいつか森に飛ぶ羽虫にでもなる気でいるのかもしれない。

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木蓮


 町に戻ると木蓮が満開になっていた。
 食料量販店で汲んだ水がトートバッグの中でゆれている。水音を耳に入れながら、大きな花の中に顔を埋めている自分を想像する。
 束の間の幻想。彼が傍にいる。自転車にまたがり春を眺めている。
 春の夕暮れは特に嫌いだった。早く家に帰りたかった。

 いつからか自由になって、いつからかうんと悲しくなった。
 帰れば机に向かい何時間も過ごしてしまう。
 誰とも共有することのできない想いは、誰とも共有することのない想いのまま花の中に閉じられていく。
 みつばちがささやくように、自分でも解読不能な言葉をつぶやいて、螺旋状の階段を降りる。

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アマリリス


 我慢しないで或る程度満足するような改装をしなさい、と母が言う。今度はあなたの番なのだと。
 だったら珈琲を飲むのが似合う台所に、亀たちが遊ぶのに勝手のいい場所に、音楽が聴きたく映画が観たくなる自分の部屋に、・・・と此処を引き継いだ空間。それと遊びに行って憂鬱にならない母の部屋と父には明るい壁で陽射しが少しは入る部屋を。
 今よりもっと好きになるかもしれない。そう想える家で彼から貰ったものを抱いて過ごしていけたらいいだろう。

 当然のことだけれど以前買った花は花瓶から消えていた。今回買ってきたのは、矢車草に白い水仙に、木蓮、マリーゴールド、菜の花、姫林檎の花、芍薬に菖蒲の蕾を花束にしたものだった。
 玄関の隣に置いてある大きな鉢植えにひとつ咲いた花の名前をずっと考えていた。百合に似た大きな朱色の花。オルゴールの音、調べはアマリリス。統一感も何もない家は如何にも母らしく笑う。あたしはアマリリスとなかよくやっていけるだろうか。

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執着


 拾日分もの防犯カメラの映像を確認すると、見覚えのある男の歩く姿が映っていた。夕刻時に家の前の道を時々歩いている模様。映像を見続け疲れたけれど、家中のもの全て確認しなければならないのに比べればたいしたことはない。
 今回、弐階にしまっておいた何年も前の母の介護サービスの契約書と歯を治療したときの書類が紙袋の中にみつかった。前回見落としたのだろう。他におかしな処はなかった。

 防犯カメラを設置すれば大概は・・・、と言われたが、信用していなかった。モニターを持ち去り夫婦で何もしていないと言い張るふたりの方が想像できた。
 母が怒っている様子に、相手を人間扱いしているのが窺える。ひとでないでしょう、と想うようになった自分。そうして好きなことのみに執着していく自分。
 どうせ持っていかれてしまうから何も買わないようにしている、と母が言う傍で、もう少ししたら母に介護ベットを自分に整理棚を買おうと考えていた。

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好きか嫌いか


 戻るまで元気でいて、と白いカーネイションに手を振る。ひとつふたつと餌を食べるようになった亀たちにも手を振る。彼には一緒に来てと目くばせをし、玄関で靴を履く。
 気掛かりは少ない。誰に家に入られるわけでもなく、物を持っていかれるわけでもなく、物の配置が変わるわけでもないけれど、家を離れるときは憂鬱に襲われる。それくらい心地いい場所になっている。できれば、ずっとこのままでいたい。それができないことはわかっていても、そう想ってしまい、それならとずっと好きでいることは可能だと笑う。
 卯月、夏の匂いが紛れ込もうとしている季節。櫻が終われば日傘なしでいられなくなる。それほど壱日壱日陽の光が強くなってきている。戻ったら急いで冬服を洗濯しないと、と想う。

 防犯カメラを設置したのに母がぐずぐず言うので、母の家に着くなり喧嘩をする。少しでも気に入らないと不満を口にする者の心理がわからない。直せば済む話だと想うのだけれど。
 満足が不満か、倖せか不幸か、損か得か、でなく、どうもあたしは良くも悪くも好きか嫌いかを基本とし生きているような気がする。

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