例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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可愛らしいもの


 朝、珈琲豆を挽く。此処へ来て朝夕は母に合わせての暮らしになり、朝は珈琲もインスタントコーヒーで済ませるようになってしまっていた。
 部屋ひとつ移動するでも、朝の寒さでも、以前と勝手が違う。其れを暮らし易いようにひとつづつ工夫しているものの、未だに以前の暮らしに追い付かない。

 久し振りで飲んだ珈琲はおいしかった。
 昨日思い出してブラッドオレンヂを探したけれどみつからずに、代わりに買ってきたトルコ産のオレンヂも一緒に食べた。

 昼間携帯電話の留守電に入っていたメッセージは今度班長さんになったお宅からのものだった。拾何年も前にお世話になった際番号を教えていた。
 こちらから出向き会費を届けに行くと、出てきた彼女は明らかに齢をとった姿になっていた。自分のように単に拾年過ぎたと云うだけでなく、話し方が違い患ったことがわかるものだった。それでも拾年前と変わらないやさしさにお会いできてよかったと想う。

 流しの窓につけるカーテンがみつからないのと安く済ませる為、カーテン生地を買い作ることにした。
 こんなとき玩具のミシンでも、あって助かる。欲しいことを口にすると、買い物好きな彼が勝手に買ってしまうことが何度かあった。初めは文句を言ってしまってもずっと使い続けている。逆も然り。彼だって歯ブラシだって髭剃りクリイムだって石鹸の泡立てネットだって気に入って使い続けていた。

 変わっていくもの、変わらないもの。それから、可愛らしいもの、と口にするとぽろぽろと泪がこぼれてきた。

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カーペットを洗う


 電気カーペットを母の部屋に移す。冬用の上掛けのカーペットはしまい、薄いカーペットと替えた。其の上に卓代わりの炬燵から布団を剥ぎ炬燵だけ置いた。
 帰宅し母が元通りの生活を送れるかどうか定かでない。其の可能性の方が低いだろう。集中治療室から同じ階の比較的症状が重いと想われる人が入っている部屋に移り、酸素を入れる鼻のチューブこそとれたが意識が薄い。

 自室には新たに麻のカーペットを敷いた。それから弐階に行きゴブラン織りのカーペットを階下に下ろし、外の水道で手洗いをした。以前は壱階で使っていたが、母が大きなシミをつけて以来弐階に移しそのうち屋根の上で洗おうかと考えていた。
 敷物は素材によって踵ががさがさになるので、気に入ったものはなかなか棄てられない。綿か麻、または其の混合のものがどうしても多くなる。

 門扉の内側にシャッターをつけたことにより両側にできた柵に濡れたカーペットを掛ける。重さに、手伝ってえ、と彼を呼ぶ。できたと言い悦んで、今もあたしは暮らしを続けている。

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夜の繕い(窓)


 まだ夜も浅い時間。なんとなく録り溜めしてあったビデオを観る気になる。なんとなくアラン・ドロンが出演している映画に決める。観終えて、なんだできたじゃない、とつぶやく。最後に映画を観たのはいつだったかも憶えていない。
 古い家。大きな窓のある家。夏向きの家は、廿窓にしようが家の中は夏まで冷えている。それだけに、夜の静けさも、傍で眠りに落ちかけている亀たちも、膝掛けもいとおしくなってくる。

 傷が絶えず絆創膏を張る指。歪な爪。其の手で夜を撫でていく。
 引き出しの奥にしまったままの裁縫道具箱。明日の夜は針と絲を出してみようか。越してきて、月が何処に昇るのか、星が何処に現れるのか、そう云うこともまだ知らずにいる。

 夏の暑さに弐階の部屋が使えなくなる前に、呼吸を入れておきたく想う。
 書架からそっと引き出したアンドリュー・ワイエスの画集を開く。カーテンの揺れるこちら側に何が置いてあるのだろう。其処に人物がいたならどんな姿をし、どんな表情をしているのだろう。
 呼吸を入れたなら、弐階の或の南側のみっつ並んだ大きな窓をひとつづつ開き屋根に上り、暫し夜を眺めていたい。

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洗い流す


 冬物を洗濯機で洗う。
 ネットに入れ中性洗剤を使い、干すときに注意すれば大抵のものはクリーニングに出さずともまた次の冬に着られる。どうしてもと想ったものはクリーニングに出し、手編みのものは手洗いすればいい。

 春だと云うのに此の間から秋物のカーディガンの編み直しを始めた。壱度盗まれ、其の後戻ってきたはいいがあちこち穴が開いている。
 布団の黄ばみをさることながら、いったいどうやって置いていたのだろうと首を傾げてしまう。洗ったり干したり樟脳を入れたりすればこんなことにならないのに、盗んだ物だからそう云うことはしなかっただけなのだろうか。
 全部使いかけにし駄目になった醤油も、黄ばみや染みの凄まじい布団も、さわられた形跡のある衣類も処分したが、此の秋物のカーディガンはお気に入りだったのと壱度も袖を通していないので、ほどいて壱から編み直している。
 時間は掛かるだろうが、嫌なことを洗い流し終える日を愉しみにしている。

 壊すことは一瞬。直すことは一生さえ使う。そんなことを想い、記したのは何年前だったろう。
 大切にすることに終わりなんてないのだ。

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終わらない歌


 弐階の北側の窓は曇り硝子になっている為、カーテンをつけるのを後回しにしていた。そろそろ窓を開け放つ頃となりカーテンを買いに行く。
 左右の端に水彩絵の具で描かれたような新緑の模様のあるカーテンを弐セット買い、窓に垂らすと弐階の部屋はたちまち部屋らしくなった。床板はこんな綺麗な模様だったろうかと想うほど、壱枚壱枚が輝きを放ち始めた。

 しようと想うことを壱日ひとつづつしている。其れも壱個完成させるのに幾日も掛かったりして、壱個を細かく分けてはひとつづつに数えている。
 手早くだったり手短だったり、そう云うことが自分は本当に苦手なのだと想う。然も完成させてもこれでいいと想ったことはなく、いつでもどうすればもっと良くなるだろうと考えている。終わらないものばかり自分はこしらえてしまう。

 カーテンを前に口ずさむROSSOの「シャロン」。また森へ行きたいな、なんて冬の星みたいだった人を誘っていた。

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