例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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夜の繕い(窓)


 まだ夜も浅い時間。なんとなく録り溜めしてあったビデオを観る気になる。なんとなくアラン・ドロンが出演している映画に決める。観終えて、なんだできたじゃない、とつぶやく。最後に映画を観たのはいつだったかも憶えていない。
 古い家。大きな窓のある家。夏向きの家は、廿窓にしようが家の中は夏まで冷えている。それだけに、夜の静けさも、傍で眠りに落ちかけている亀たちも、膝掛けもいとおしくなってくる。

 傷が絶えず絆創膏を張る指。歪な爪。其の手で夜を撫でていく。
 引き出しの奥にしまったままの裁縫道具箱。明日の夜は針と絲を出してみようか。越してきて、月が何処に昇るのか、星が何処に現れるのか、そう云うこともまだ知らずにいる。

 夏の暑さに弐階の部屋が使えなくなる前に、呼吸を入れておきたく想う。
 書架からそっと引き出したアンドリュー・ワイエスの画集を開く。カーテンの揺れるこちら側に何が置いてあるのだろう。其処に人物がいたならどんな姿をし、どんな表情をしているのだろう。
 呼吸を入れたなら、弐階の或の南側のみっつ並んだ大きな窓をひとつづつ開き屋根に上り、暫し夜を眺めていたい。

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洗い流す


 冬物を洗濯機で洗う。
 ネットに入れ中性洗剤を使い、干すときに注意すれば大抵のものはクリーニングに出さずともまた次の冬に着られる。どうしてもと想ったものはクリーニングに出し、手編みのものは手洗いすればいい。

 春だと云うのに此の間から秋物のカーディガンの編み直しを始めた。壱度盗まれ、其の後戻ってきたはいいがあちこち穴が開いている。
 布団の黄ばみをさることながら、いったいどうやって置いていたのだろうと首を傾げてしまう。洗ったり干したり樟脳を入れたりすればこんなことにならないのに、盗んだ物だからそう云うことはしなかっただけなのだろうか。
 全部使いかけにし駄目になった醤油も、黄ばみや染みの凄まじい布団も、さわられた形跡のある衣類も処分したが、此の秋物のカーディガンはお気に入りだったのと壱度も袖を通していないので、ほどいて壱から編み直している。
 時間は掛かるだろうが、嫌なことを洗い流し終える日を愉しみにしている。

 壊すことは一瞬。直すことは一生さえ使う。そんなことを想い、記したのは何年前だったろう。
 大切にすることに終わりなんてないのだ。

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終わらない歌


 弐階の北側の窓は曇り硝子になっている為、カーテンをつけるのを後回しにしていた。そろそろ窓を開け放つ頃となりカーテンを買いに行く。
 左右の端に水彩絵の具で描かれたような新緑の模様のあるカーテンを弐セット買い、窓に垂らすと弐階の部屋はたちまち部屋らしくなった。床板はこんな綺麗な模様だったろうかと想うほど、壱枚壱枚が輝きを放ち始めた。

 しようと想うことを壱日ひとつづつしている。其れも壱個完成させるのに幾日も掛かったりして、壱個を細かく分けてはひとつづつに数えている。
 手早くだったり手短だったり、そう云うことが自分は本当に苦手なのだと想う。然も完成させてもこれでいいと想ったことはなく、いつでもどうすればもっと良くなるだろうと考えている。終わらないものばかり自分はこしらえてしまう。

 カーテンを前に口ずさむROSSOの「シャロン」。また森へ行きたいな、なんて冬の星みたいだった人を誘っていた。

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黒い服


 昨夜またふいに眠れなくなった。
 朝になり布団から抜け出すときは重い気分だったのに、黒いシャツと黒いパンツに着替えると落ち着いた。

 外は風があり、櫻の花びらが舞っていた。・・・短かったな、なんてつぶやいたあとで、此処では染井吉野しか咲いていないことに気付く。
 此処に来るまでは、緋寒桜から始まり、山櫻に染井吉野に枝垂れ櫻と来て、八重櫻にウコン櫻で終わっていく春の初めだった。そして、其処に彼がいて、あたしがいた。

 病院で出されたアンケートの相談相手の箇所には、いないに丸をつけておいた。いないわけでなく、相談すればみな応えてくれるだろうけれど、相談相手が欲しいわけではなく、彼のようにわからないところを的確に教えてくれる人がいたらいいな、と想ってしまったのだ。
 励ましも慰めも要らない。迷いや悩みならひとりで答をみつける。わからない問題に淡々として力を添えてくれる人を自分は欲していたことを知る。

 明日も黒い服に身を包もうと想う。静謐なものを傍に置いておきたく。

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春だったね


 午后弐時を過ぎ雲の切れてきた町。部屋に西日が射したのを合図に小さな白い箱を開く。箱には小さなシールが貼られている。箱には店の名も入ってなく、シールに押された日付の下に小さく店の名が記されているだけの簡素さが品よく感じられる。
 選んでいたときには気付かなかったが、桃のケーキの端を飾っていたのは生クリイムでなくバタークリイムだった。クリスマスになると彼がバタークリイムのケーキ、其れも薔薇の花の乗ったケーキを食べたいと言っていたのを思い出す。彼には苺のケーキを出したけれど、どうぞ、とバタークリイムの乗った方を彼に向けて差し出す。彼は此の町のケーキ店のケーキを食べたことがあると言っていた。自分には其の記憶がない。

 古くからあるらしい町のケーキ店のケーキにしたのは、ひとつは嫌なことが終わったことに区切りをつける為、ひとつは彼と一緒にしたかったことをする為。
 出逢った日もふたりきりで歩いた日のことも動物園に誘われた日のことも、はっきり憶えていない。ただ、ひとつだけ。あれは・・・、あれも、あれも・・・、春だったね。

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