例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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セーターの本を拡げて


 曇った空に弐階で過ごすのをあきらめ、亀たちと寒がりな鉢植えを自室に招き部屋を暖める。足元にはブランケット、机の上にはカフェオレとクラッカー。セーターの本を拡げる。
 細い絲で編むのは時間が掛かる。ましてや編むのはあたし。母の編んだものが残ることを想えばもう壱枚も編まなくていいかとも考えるけれど、そのうち編めなくなる日があたしにもやって来るだろう。
 面倒なことも重い物を動かすことも今のうち。複雑そうな模様編みの頁に栞を挟んで閉じた。

 彼を想うことで生まれるほんの少しの気力でこうしていられる。これから死ぬまでこのままではないかと想うけれど、減ることはなさそうなので此の気持ちに身を委ねていよう。

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現状


 来ましたよ、と声を掛けると、本当に嬉しそうな顔をしいきなり、可愛い可愛い、とあたしに向かい母が言う。かあさんも可愛いよ、と言うと、本当に可愛らしい、と何遍も言うのでどう応じようかと想っていると、幼稚園に行くの?と訊かれ、今日は母の中で自分は幼稚園児になっていたことを知る。
 すぐに、行くよ、と応えると、いってらっしゃい、と言う母に、まだ時間になっていないの、と返す。
 理解力はあり、こちらが合わせれば彼女と会話は成り立つ。またこちらが家のことなどを話すと、それなりのことが返ってくる。現在の状況が把握できなくなっているらしい。
 元に戻ることはないだろうが、おだやかに過ごしていてくれればいい。母の記憶から抜けても、忌まわしい記憶は未だに自分の胸を抉り続けている。

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公園にて


 早朝にみつける霜、卓上のクリスマスツリー、アラン模様のカーディガン、コーンスープの減りの速さ、ひとつ莟の開いたシャコバサボテン、晴れた日は玄関まで差し込んでくるようになった特別まぶしく感じる冬の朝の陽射し。
 とうとうひとつ残らず葉が落ちてしまった銀杏の樹の下を潜り抜けると、遠くに見える山が雪をかぶる姿があった。

 人が少ないとは言え屋根付きのベンチには此の間まで人がいたのに、今日は容易に座れてしまった。
 家に帰ったならインスタントコーヒーに牛乳と、それから氷砂糖を足して飲もうとなんとなしに想う。

 葉を落とし細い枝が現れた樹木。此の姿がより好き。
 細い、細い、細い枝。嗚呼、彼に似ているんだ。あそこに冬の星がとまったらどんなに素敵なことになるだろう。

 冬。閉塞されたような世界でひとつひとつのものが濃厚になっていく。

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初冬


 寒い朝、霧が出ているわけでもないのに今度はユーリ・ノルシュテインの映画を思い出し自転車を出したくなった。手袋をしていないと手がかじかむ。信号をふたつ先に進むと其処はもう町中ではなく、家はまばらで畑が拡がった景色。
 町中と違い景色が白っぽく見える。畑や草むらに霜が下りているからだった。空には端が欠けた白い月。白のタートルネックに頬を埋める。吐息が白くなっているのかはわからない。眼鏡も白くなってきていたから。
 白秋、玄冬、と言うが、自分には冬は白の印象が強い。

 白い静物にできた陰影を壱時間でも弐時間でもみつめたり指でなぞったりしながらまた冬を過ごすのだと想うと、胸がやわらかなもので満ちてくる。此の冬も胸からしんしんとした音が聞こえてくるといい。

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洋梨


 洋梨を買ったのはいつだったろう。食べ頃がよくわからない。
 茶色に染まった姿。頭の先の方がより茶色になっているところがあるのに気付き、皮を剥いてみることにした。
 現れたのは直径壱センチのうす茶の円。傷んだ箇所は其処だけで、残りはひたすらやわらかそうな白い実。香りとあまみが口の中に拡がる。食べ頃を逃さずに済んだ。

 やわらかいものとかたいもの。どちらが好きか問われればかたいものと答えるのに、梨は別。此の秋も洋梨しか口にしていない。
 こんな別が好き。洋梨の不思議な形を想い浮かべては素敵とつぶやく。

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