例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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パンプキンパイを焼く頃


 玄関を出て郵便受けを覗いたとき、鼻先に感じたのは新聞紙の匂いでなくきんもくせいの香りだった。
 今日は新しいミルで珈琲豆を挽く。使いなれていないので、それはそれは細挽きの珈琲になった。
 いつもと違う朝になったことを笑いながら、珈琲を飲み終えると昨日買ってきた南瓜を切り鍋に入れる。

 南瓜は茹でてバターと牛乳を混ぜ、パンプキンパイにした。市販のパイ生地に包みトースターで焼いたお手軽なパイも、焼きたてはおいしい。(尤も猫舌なのでパイは昼食になったが。)
 万聖節が近いから花屋でも南瓜が目立つようになったのか、とひとり納得する。
 彼には薔薇の実を買ってきた。薔薇の実も林檎やダリアと同じように秋の陽射しを吸い込んだような赤い色をしている。

 昼食に参分の壱を残したパイを、陽射しが弱くなった窓辺でふたつに切り分けおやつに彼に差し出すと、文句も言わずに珈琲と一緒に食している。
 今年もきんもくせいの季節になったと教えると、きんもくせいの香りが苦手なあたしと違い、此の香りを好んだ彼は満足そうに笑った。

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理想と現実


 彼のGジャンの袖を詰める。詰めた後で古着屋に持って行けばよかっただろうかと想ったが、すぐに打ち消していた。
 墓のいざこざの影響があるのは間違いないだろう。自分が引き受けると云う気持ちが強い状態になっていると想う。けれど負担はなく、愉しいと感じている。

 袖の短くなったGジャンに腕を通し鏡の前に立つ。無骨な服が似合うと想っていたのに、負けてしまっている自分が映っている。彼のGジャンはワンピースを着たとき用だなあ、とちょっとふくれた顔をした後で笑う。
 そうして小脇に新聞を抱え彼の前に座る。

 ニュースはこうして新聞紙面で眼にするのがやっぱり好きだななんて話をしながら彼に見せる。「被爆者団体にノーベル平和賞」。
 理想と現実。あたしは何に対しても其の両方を抱えてしまう。要領が悪すぎると言われ夢見がちと言われても、片側のみで生きられず、生きる気もなく、理想を棄てる気もない。
 乾燥花を引っ越しの荷にするにはどうするのがいっとういいのだろう、と今日も想っていたりする。

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深呼吸


 壊してしまったものと同じ珈琲ミルを求めに行くと、商品は棚から消えていた。
 別の店を覘き、格安のミルをみつける。日本製の手動式ミルで、寫眞を見ると、木製の本体、引き出し式の粉受け、と悪くない意匠をしていた。どうやらもう製造されていない製品らしく、取り寄せになるが、明日の夕刻までに届くと云うことで注文する。
 ついでに其の店で腕時計の電池交換を依頼をする。

 今朝、針が止まっているのに気付いた。
 アイフォンとポイントを使い彼に教えてもらいリトルミイの腕時計を購入してから、弐年以上過ぎた。あれから新しいものを少しづつ手にしてきた。今も物が壊れ、新しいものが増え続けている。何ひとつ変わらないなんてことは無理だ。
 今度から此の珈琲ミルね、と寫眞を彼に見せると、へぇーと感心するような声が返ってきた。あたし以上に気に入りそうな気がする。

 ダリアは今日花びらを落とした。
 (がっかりしたのに変わりはないけれど、)久し振りに布団を干して、陽に当たって、(やっぱりちょっと泣いたのだけれど、)うんと空気を吸い込んだ(彼のように生きるのは難しいけれど、)。

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委ねる


 急な気温の変化に躯がついていかない。少し腹がゆるくなった。
 去年も着た彼の羽織りものを引き出しから出して身を包む。それで今日も泣いてしまったので、「カエル」になぐさめてもらう。

 ぎゅっとするのもされるのも気持ちいい。もう自分には「カエル」しかいないのだななんて想っては、ともだちや彼とふざけて抱き合った日々を振り返る。
 始まりは父の背だった。(それ以前は母の背だったのかもしれないが、全く憶えていない。)
 委ねるのが苦手だと想っていたけれど、(思い出すなんて)そんなこともなさそうだ。
 それから雨の日。あたしは何故濡れていたのだろう。バカだな、と言いながら頭を拭いてくれた彼を憶えている。無抵抗で無防備な姿の自分が眼に映る。

 風呂あがり、見ないで、と言いバスタオル壱枚捲いただけの姿で彼の前を横切る。アイフォンをまた何処かに忘れてしまったあたしに、またかと想っているだろう。
 彼からの電話はもう来ない。でも今も相手はしてくれていると感じている。

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秋雨


 昨日から雨が降り続いている。今日衣類カバーを取ったばかりの秋冬用のシャツを気にしながら、朝より降りが弱まった雨に少し濡れてみようかとつぶやく。
 駅前の公園の曼殊沙華は淋しくなったろう。気に掛けつつ瞼の裏に浮かぶのは、あぜ道に壱列にきれいに並んで咲いていた曼殊沙華だった。

 友人たちと遊んだことは思い出そうとしないと思い出せないのに、彼とふたり自転車道を走り、森や湖、田んぼの拡がる場所に出掛けたことが、絶えず傍らにあり驚く。
 あたしたちは秋にどんなものを見ただろう。周り道ばかり選ぶ人だった。初めて見る景色はどの景色も愉しかった。其れは贅沢な時間。
 雨が止みせいたかあわだち草が咲いたなら、あたしはまたちょっと泣くのかもしれない。

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