例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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回帰


 乾燥花にしたペッパーベリィが今も尚垂れ続けているかのよう、小さなブリキの如雨露から溢れんばかりに顔を出している。乾燥花にした唐辛子とて同じこと。花瓶代わりにしたカップから今にも元気に飛び出しそうにしている。
 何故だか喉が渇いて仕様がない夜、台所に幾度も入る。其の都度乾燥花と眼が合う。

 乾燥花を見て何か思い出すのでなく、象徴なのだと想う。初期衝動、或いは初心忘るべからずを好む自分と乾燥花は、連結しているように感じている。
 或の場所に、或のときに、幾度でも立ち返る。そして其処からしか何処へも行くことのできない自分を知った。そのことは不自由でもなく窮屈でもなかった。寧ろ清々しくあった。

 崩れなければいいけれど、と想い乍ら、乾燥花を次の場所へ持っていこうとあたしはしている。或の日胸にやって来た鳥と共に。

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冷えた朝に


 冷えた朝になった。
 目覚めると部屋がしんとしていた。明かり窓の辺りは薄暗く、時間の見当がつかない。躯は温かったが、布団を抜け出し洗面所へ向かう廊下を歩くとき肩が気になった。でもまだスリッパは必要なさそうだ。
 あたしが起きたのを知ると、小さな亀が水槽の中で暴れ始めた。彼はいつでも腹を空かしているように見える。・・・と想って餌をあげてしまうと吐かれることになるので、今朝も騙されないよおと言いながら決めた数だけの餌をあげる。

 いつもより丗分遅い朝になった。
 咳がひとつ落ちる。気温が下がると鼻が通らなくなる。苦しくなって咳をしてしまうらしい。わかっていても咳をする季節になると、どきどきしてしまう。咳の病気をそれほどまでに嫌がっている自分にちょっと笑う。
 躯を冷やさぬようにと去年も着た彼の上着を引き出しから取り出す。襟を内側に縫い付け袖をふたつ折りにし作業しやすくした薄墨色の上着は、ポケットもついているのでなにかと都合がいい。朝の塵出しくらいなら引っ掛けていける。引っ越すまでのだいじな部屋着だ。

 薄い蘇芳色の絲はセーターに仕上げたものの気に入らず、ベストに編み直し始めた。
 いつものように過ごそう、と毎日毎日想う。壱日数時間しかできないけれど、数時間の時間が壊れそうになるあたしを止めてくれる。
 新しい珈琲ミルにしてまたおいしく淹れられるようになった珈琲は、あまい味がする。
 ふたりの暮らしは変わらないようでいて少しづつ変化してきた。此処を離れることに感傷的になっているのは、此の家が快適だったからなのだと想う。

 此処に越すとき、あたしはそれまでのことを壱度白紙にした。此処に来た時、大好きな冬を閉じ込めたような家だと想った。次の暮らしを想うとき其処には此の家で過ごしたことと彼がいる。
 珈琲を飲み干し彼の上着を頬にあて卓に頬杖をつくと、倖せがキスをして廊下を駈けていった。

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違和感


 本当に合う言葉を探すのは難しい。失ったでもなく無くしたでもなく、一緒にいる形が以前と違うと云う表現が今のところ壱番違和感がなく使える。
 考えるなと言われたら其れは無理と応えるしかなく、考える前に話し掛けているし、あれが夢だったとは想えずまたああして欲しいなと想っている。

 今日たまたま眼にした、×拾代がするとイタイファッション、に首を傾げる。ファッション雑誌等全く読まないのでわからないが、×代でも可愛らしい服を着よう、こうすれば素敵に、と云うのが自分ではおしゃれだと想っていた。
 折しもピーコさんの訃報を知る。

 毒舌にしろ辛口にしろ、ただ口の悪い人にあてがわれる言葉でなく、ただ口が悪いだけならば性格に問題があると云うことだろう。

 ざらざらとした感触に立ち止まる都度、だいじなものの端にふれたような気がして、耳を澄ましてはじっとしている。

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勧めない


 あたしは何も勧めない。かつて自分が良いと想ったものを勧めたこともあったと想うけれど、もう何も勧めないことに決めたのだ。
 自分は気に入っていることをしっかり述べても、そこで話を止める。
 多様性と云う言葉だけが一人歩きをしている世界は、壱方で自分の正義の押し付け合いをしている。多様性と云う言葉まで自分の正義、自分の勝手で通そうとしたり、おかしなものだと想う。

 段ボール箱が幾つあっても足りなく、処分しようと書籍を詰めた箱を空けることにした。池波正太郎の文庫本が壱冊紛れ込んでいて拾い上げる。
 ぱらぱらと頁を捲ると、或る言葉が眼に入ってきた。最後の解説にあった言葉だった。我慾。小説の主人公には我慾がないと言う。

 主張するのがそれほど良いことなのか、全て口に出して言えば良いのか、わからない。もどかしさを掬いとったような文章が好きだなと想い目を閉じる。そして、絞り出したような言葉がひとつ置かれているのもいいなと、目を開け明るくなってきた窓辺に躯を向けた。

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森の熊さん


 歯医者に電話すると、拾壱月から治療が始まるとわかった。引っ越しの日取りを決め、アパートの管理会社を訪ねる。
 対応してくだすった方に、今後部屋の賃貸を存続させるかどうかは決定でないのでと畳などの原状回復金が発生すると説明される。頷きながら、後から付け足してくる人間を自分は疎むのだなと想い聞いていた。
 物を見て行動するか人を見て行動するか、どれくらい自身を守ろうとする者なのか、寛容や融通を供えた者か、・・・自分は嫌なくらい相手を見てしまっている気がする。

 先日HSPと内向的性質は違うものと云う記事を目にし内向的性質の自己診断をしてみたが、質問に対する答全てに丸がついた。丸が多いほど内向的性質が強いとあり、苦笑するしかなかった。
 壱日にひとつ以上のことができるようにはなったが、其れをした後の疲労感が酷い。頭痛に腹のゆるみに眠気に、・・・興奮。其れに加え今日は家の中をいつか何かで見た熊みたいにぐるぐると廻り続けていた。止めることはできなかった。仕様がないので、「森の熊さん」をうたって遊びに切り替えた。

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