例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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終わらない時間


 バスの窓に覗く土手から川に拡がる芒とせいたかあわだち草の群生に、ほらと彼に声を掛ける。
 いつのまにか彼は川沿いに立っていて、あたしも後を追うように川沿いを歩いている。
 いつかのあたしたちが何度でも其処に立つ。
 自転車で辿り着いた遠くの川も、菜の花でいっぱいだった土手も、湖へと繋がっていた或の川も、今となっては皆ひとつの場所となり端の無い絵としてあたしの前に現れる。

 生に対して希薄だと云うようなことを幾度か言われたけれど、希薄なのは感情なのだと想う。感情に沿うとか感情に酔うとか感情で訴えるとか、見ていて一気に冷めてしまう。
 (あたしは誘われてばかりだったけれど、)ふたりで随分と生きることをしたのだなと想う。

 オナモミを沢山つけて草の中を歩くあたし。枯れたセンダングサが美しいと立ち止まり寫眞に撮るあたしを黙って彼が待っている。
 もうすぐ夕闇がやってくるから帰らなきゃいけないのに、猫だの鳥だのをみつけては彼は喜んでいるし・・・。
 あれからも終わらない時間が続いている。

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さよならを言う都度


 台所用品に工具に毛絲を残し、弐階に上げたものは殆ど壱階に戻すことができた。
 問題は布団だった。家畜用にしていたのだろうかと想うほど、此の数年の間に多くは染みだらけになった。其れが何を表しているかわかり処分せざるを得ない。部屋の隅に積み上げてみると窓に追いつく高さがあり驚きはしたが、羽毛布団が無事だったこともあり惜しい気持ちはなかった。
 他人を羨む気持ちにしても妙な固執をしては倖せな気持ちになれない。さよならが気持ちよかった。布団壱枚壱枚にさよならを言う都度足は鎖から解かれ、ニジンスキーってこんな格好をしなかったっけと新たな領域を探すかのよう動く躯に自身がついていくのがやっとだった。

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青い壜


 最後にフローリングワイパーを片付け、何ひとつなくなった部屋に布団を敷いた。がらんとした部屋に父がいた頃を思い出す。素っ気無いくらいの意匠だったり部屋だったり人だったりが好きなのは、父の影響だろうか。
 鏡と化した窓硝子に映る自分にお道化て手を振る。後ろには夫がいる。部屋は今住んでいる家の延長となるだろう。酒瓶は廃棄しようかと想ったけれど、持ってくることにした。ボンベイ・サファイアの青い壜ときたら棄て難い色をしているし、ウヰスキーはバニラアイスクリイムの友にするのにいい。いろいろ置くことに父は感心しないだろうが、ボンベイ・サファイアの青い壜を見たら手に取り繁々と眺めるだろう。
 父が寝ていた場所に今度はあたしが寝る。繋がった点と点。父のような明確な意思を持てる日があたしにも来るだろうか。

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黄金色の果実


 Yで採れたものだと父にあがった蜜柑を指して母が言う。
 下の方が青い蜜柑は想うより皮がやわらかく味はあまく、かすかに伯父の匂いがした。なんとなく土の、ほのかに草の、少しだけお日様の匂い。其れは毎日風呂に入らない田舎の猫や犬の匂いにも似ている。
 もっと熟したらたっぷりお日様の匂いがするだろう、と想い乍ら柿の実を思い出す。店に出ない(たぶん贈答用ならあるのかもしれない)或の柿。硬さがあり胡麻の入った大きくて重い黄金色の果実。唯一あたしが食べられる柿。
 いとこが切ってしまったのだっけ、と思い出しては兄のように慕っている彼を、其れだけは別と苦々しく想った後笑う。蜜柑が残っただけでも倖せなのにね。
 此の冬も蜜柑を浮かべた風呂に入り眠る夜を想い浮かべると、障子壱枚隔てた向こうから聞こえる伯父や祖母の声が耳をくすぐってくるような気がした。

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彼の部屋


 不用品買取業者に依頼し、また少し物が減った部屋は元の姿を現した。
 彼の部屋は窒息しそうなほど物に溢れた部屋だった。此の家に壱度も帰ることのなかった彼。帰りたいと言わなかった彼。棄てられないことと執着は違うのだろう。
 彼の部屋はいつ入ってもしんとしていない。だからと言い賑やかでも煩くもない。いったい自分の部屋兼ふたりの寝室だった部屋と何処が違うのだろう。物が溢れていた頃は想わなかったが、結構居心地がいい。此れは此れで落ち着いた部屋なのかもしれない。

 幾らか金銭が発生したが困っていたものがなくならなかったことで、業者の選び方が違ったのだとわかった。壊れていても引き取り可、通常引き取れない物でもこちらで処分代を出せば持って行ってくれる業者を探し、新たに依頼する。

 或る日突然やってきた大きな椅子に驚いていたら、こう云うの憧れだったんだと言いにこにこしていた彼を思い出す。
 其れも処分しなければならないのだけれど、今度はどう云う椅子がいい?と訊くと、彼は首を傾げているので、好きなのを買ってねと言っておいた。

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