種
2024, Jul 02
古代蓮が開花した、と寫眞付きの新聞記事があたしたちに話題を提供する。電車とバスに揺られ辿り着いた町、蓮の咲く中を壱日かけて遊んだ。また行きたいとひと言発すれば、あたしより先に時候を捉え誘ってくれた。我が儘を聞いてくれる人だった。
同じ眼をしている、といつか言われたことを思い出し、彼がリスペクトしていた彼の友人に想いを馳せる。粋な発想も周りを捲き込む愉快さも自分にはなかったが、夢中になっている姿が彼の眼に同じに映ったのだろうか。
長い時間を掛け宿ってしまった死生観はどうしようもなく、あたしは今も彼と暮らしている。そうして、空想でなく、想像する。蓮の花、蝉時雨、木漏れ日、小高い丘。やがて花が開く音が聞こえ始める。其れは普段聞こえない音。花の持つ悦びと痛みまで耳に入ってくる。
見ているようで聞いているようで、普段それほど見ても聞いてもいない。諳んじられるほど憶えていない。注意深く観察すれば、壱秒毎光は色を変え、壱秒毎水は形を変える。きっと彼も或の日壱秒毎表情を変えていただろうに、暑い空を見上げた遠いまなざしばかり瞼の裏に映し出される。
例えば種はどれくらい眠ることができるのだろう。
其処にあたしの過去と現在が存在し、彼の過去と現在が存在し、其々の時間が交錯している。あたしが知る此の種は、あたしが逝くときにでも開花するのだろうか。
遠い眼をしている。此れは、彼でなく別な人に言われたこと。眼の前に起きている出来事を余すことなく捉えられたとして現実には足りず、厄介とも想える心に訊ねれば、頭にぽんといつか眼にした大きな蓮の花を乗せてくれるだけ。