例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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 弐枚目に選んだディスクは「CROSSROADS」のサウンドトラック。聴くのは数年ぶりになるだろう。レコードもCDもそれほど持っていなかった頃、気に入ってよく聴いていた。今、聴いて想ったのは、ブルーズの入門にいいかもしれない、とだけ。
 未だに繰り返し聴いたり観たり読んだりするものと、いつのまにかそうでなくなっていたものとの違いに、呆然としてしまうほど肩透かしを喰らう。弐杯目の珈琲をカップに注ぎ、台所にマジック・サムのギターの音が拡がると、何の躓きも気に障ることもなくノートパソコンや雑記帳や電卓を卓に拡げ脚を組む。

 明日も明後日も壱年先拾年先も、未来でなく〇後でなく、今と捉えたい。流れていく時間。繋がっている時間。興味が無くなり忘れていったものは過去へ、そうでないものは今。
 自分の内で永遠になった瞬間を抱き笑う日々。

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草の匂い


 リラに鈴蘭、青い釣鐘草(釣鐘水仙)の小さな花束。ぷんとした強い草の匂いは鈴蘭の大きな葉からしているのだろうか。白いシャツを着て隣で微笑んでいる彼。
 また一緒に森へ行きたいな。それから湖にも。何処へ行っても木陰に入り眠ってしまうあたし。何処へ行ってお酒を飲んでいる彼。しだいに角度を変えていく太陽。降り注ぐ木漏れ日にカメラを向ける。時々彼も其処に寫り込んでいる。
 花屋では見たことなかった花を愉しんでは、草の匂いに生き返る。

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青い朝


 朝からジミ・ヘンドリクスを聴いて、フライパンにバター、卵、ベーコンに食パンを入れて焼きグリーンリーフに包みペーパータオルを捲く。皿は使わない。大きなスープカップには国産玉葱のスープ。父に供えたバナナが食べ頃だと、なんとかまたバナナを食べられるようになったあたしに彼とカエルの人形が口を揃え教えている。
 薄暗い台所。でも灯りが要るほどでもない。朝が好きなのは太陽を想像するからなんだろう。そして藍色の空気。村上龍や中上健次の小説にあった印象深い朝。
 昨日から胡桃の卓には何も乗せないようにした。朝食を食べ終え、そこでコンビニエンスストア受け取りにした書籍を開く。読みかけのものが数冊あるのに、どうしても欲しくなった「真夜中の太陽」と題された詩集。薄暗い台所で其処から藍が拡がっていく朝。ジミ・ヘンドリクスの曲が終わってしまうと、自分の吐息しか聞こえない朝。
 今日も森を探しに行こうと想う。

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夢のようなひととき


 芍薬弐輪だけになってしまった花瓶の花。腐るのが早くなった季節。台所の家具の配置を変える。
 CDラジオカセットレコーダーの電源をやっと入れる気になり、迷いなくジミ・ヘンドリクスの「Blues」のディスクを選ぶ。伍曲目の「Voodoo Chile Blues」に泪を零してしまう。何故か此の曲に泣いてしまうようになったけれど、此のCDに入っているバージョンでしか泪は零れない。
 動いていること。生きていること。呼吸をしていること。録音された音がそうなら、此の台所も同じ。そして其処にいる彼も。何より其れを感じている自分。絵に表したなら芍薬は画面(台所)いっぱいに花を開かせ、小さなあたしを包んでいる。
 感覚に抱かれている時間。夢のようなひととき。

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軽蔑


 布団と土もあったことで塵置き場と化した庭の壱角の処分を依頼したが、未だに見積書が届かない。後回しにされているのか、金にならない仕事だと想われたのか。催促する気もなく、布団と土と壱辺が陸拾センチ以上のものは残るだろうが、できるところまで片付けることにした。
 空き瓶を入れた袋と空き缶を入れた袋をひと袋づつ今朝塵に出し、細々としたものを拾袋まとめたところで力尽きた。うち半分は叔父夫婦が残していった掛け時計に大きな植木鉢に水道工事に使用する為の道具類にペンキの空き缶に使えないランタンに使えない水道ホース・・・。なのに一生分かと笑ったほどの洗剤も引き出物のうどんだの醬油などはひとつもなくなってしまった。
 誤魔化してしまえばいいと、たいしたことではないのにと、欲をかき自分を守った分が塵になり他人にの手で棄てられていく。其の背後にあるものはもう決して取り戻すことのできないものだろうか、などと想い躊躇することなくあたしは棄てていく。明日また作業するのを愉しみにさえしている。

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