例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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彼女


 洗って衣文掛けにかけた袢纏を、午后の陽射しが透かす。綿が余り入っていないことや縫い目の粗さがよくわかる。それが自分にもできそうかと想わせる。
 直すのに羽織の生地を当てるのもいいだろうか、胸に紐をつけ茶羽織りにしてもいいだろうか、などとぼんやり想い浮かべる。

 幾度も想い描く。手を付けても想い直してはまた想い描く。時間は無限ではないのに、あたしはそうして時間を使い過ぎるほど使う。そして完成させてからもまだまだ想い描く。
 ひとりで過ごしていても飽きない理由はそこにあるのだろうか。けれど、ひとりと言っても自身がいるではないか。何処までも付いてくるし、度々彼女は話し掛けてもくる。
 然もあたしより倍はしっかりしているしおおらかでもある。そのうちいいのができるよ、とくったくない顔で彼女は笑う。

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祝いの日


 訪ね人、今日もあり。お礼と言われ恐縮しつつも受け取る。
 箱を開けると出てきたのは父の好きそうな和菓子。小皿に全参種のせ、今日は母の誕生日なので豪勢です、と供える。

 或のおいしい寿司屋に連れていく予定だったけれど、今日を祝えたことを慶ぼう。
 黄色が好きと言った母。水仙も菜の花もいい匂い。
 彼女がもう此処で暮らすことはないとわかっても部屋は其のままに。

 性格が合わず煩わしくもあったけれど、短くも一緒に暮らした日々が彼女にとり穏やかで愉しいものになってよかったと想う。
 あれから訪ね人におかしな者もいなくなった。

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瞬間


 ぽろぽろ泣く。もう何も考えたくない。このまま朽ちてしまいたいと想う。
 おはようと彼に声を掛ける。にこっと笑う。カエルの人形にも声を掛ける。好きと言っては抱きしめる。

 悦びは悲しみを救わない。
 悲しみは悦びを侵さない。
 決して壱方を侵害しないこの関係がいい。

 ぽろぽろ泣く。にこっと笑う。五木寛之さんの本を買ってみようかと想ったり、アン・マイクルズの本を探してみようかと想ったり、いろいろ。
 この均衡を保ち、自分は死ぬまで生きるのだろう。ただ其れは壱日に対して言えることであり、瞬間までは知らない。
 此の瞬間は偏った想いであふれている。

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訪問者


 お礼に戴いたスコーンは珈琲によく合っていた。

 今朝突然母の友人がやってきた。話を聞くと黙って介護施設を抜け出してきたと言う。誰も話し相手がいなく、飽きてしまうと話す彼女。看護師さんの対応も嘆く。解釈は人により異なるうえ、いつのまにかあたしを母と思い込んでいたことから多少の認知症があると判った彼女の話を鵜呑みにするわけにはいかないが、彼女にとり居心地がいい場所ではなさそうだ。
 息抜きをしてもらうため、また自尊心を傷付けぬため、会話を続けながら彼女の隣で介護施設に連絡する。

 入居施設先が彼女の話す施設と異なっていたようで、電話を掛け直すこと数回。間もなく玄関先に施設の人や警察の人が数名やってきた。そうして、またね、と戻っていった彼女。

 どうかどうか話し相手ができますよう。そう想わずにいられない。
 参時のお茶の時間に拡がるせつなさ。夕焼けに、星に、明日を託してみたくなる。

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ベンチとミルクティー


 火にかけた鍋。紅茶葉の色が牛乳に溶け出す。牛乳は牛乳で膜を張り、想わず頬がゆるむ。
 ミルクティーに抹茶味の菓子を添え、脚を投げ出してベンチに座る。

 卓と椅子を買うなら椅子のひとつはベンチになっているもの、と云うあたしの希望は叶えられ、大きな卓が欲しかった、と云う彼の希望は希望で叶えられ、胡桃の卓は台所の主となり、引っ越し後もあたしを包んでくれている。
 ひとりで座るには大き過ぎる卓。数の余る椅子。
 此れをこれから最大限に活かすにはどうしたらいいだろう。

 ベンチは切り離して使っても素敵、なんて想っては彼にどう?と語りかける。
 両手で持ったミルクティーのカップ。もし此れを欠いてしまったら乾燥花を飾ったりするだろう。
 つづく倖せ、なくなることないお気に入りのもの。
 外は寒く、風も強くなった。

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