中国からいらした方だろうか。やりとりを耳にし、バスの運転手が少し苛ついているのがわかった。彼が橋向こうの町に行きたいことが判り、自分も行くことを告げる。降車するバス停に着いてもふたりのやり取りは終わらず、少ししてやっと彼が辿り着きたい町を知った。
長い橋を渡っても、また同じだけ歩かなければならない。彼は歩き慣れていないのか、だいぶ遅れてついてくる。彼が辿り着きたい町に行くには更にバスを利用するしかない。
バス停に着き、どのバスに乗り何時にバスが来るか時刻表を指し教える。すると彼はスマートフォンで撮影していたので、高齢な人でなくよかったと安堵する。時間まで結構あると伝えようとすると、スマートフォンを差し出してくる。バスの運転手とも翻訳アプリで会話していたのだろうが、伝えたいように訳してなどくれない。
タクシーに乗る、と云う訳に、バス停の隣に止まっていたタクシーの運転手に行先までの値段を尋ねた後、首を振りながら彼に値を告げる。それに対し彼は、バスを待ちます、足が痛い、あなたと逢うまで既に弐キロ歩いている、と言いたいことがわかり、想わず声をあげると彼が笑うのであたしも笑ってしまった。
薬を飲むので水を買いたい、と言う彼に自販機の前まで一緒に行き別れようとすると、あたしにも水を買ってくれた。それから彼は右手を差し出してきた。あたしも右手を出した。
残念だけれど、人は虚偽も働く。言葉や便利なものだけに頼りたくない。
彼は関わりたくない人間ではないと判断することができたので、想う(言葉)だけの親切より行動する偽善を選んだ。
他人に対し厳しいまでに人を選ぶようになったかと想う自分。そうすることで得るものは逆に清々しいまでの他人の気持ちだったりする。
