例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

忍者ブログ

頁を戻る頁を捲る

ハルジョオン


 雑記帳の隅に花束を抱えた女の子を落書きしていたら、ハルジョオンを思い出した。何処にでも咲いていると想っていたのに、もう随分見ていないような気がする。
 小さい頃住んでいた家の庭にも、ハルジョオンが咲いた。摘んでも、抜いても、いつのまにか現れて春を教えてくれた。
 けれど、春は淋しいから好きじゃなかった。昼間どんなに晴れていても 午后参時にもなれば曇ってしまう。正露丸の独特の匂いと苦い味と春の夕暮れは似ていると想った。春の夕暮れほど悲しいものはないと想っていた。そんなとき猫をぎゅうっと抱いても怒らなかったけれど、或の淋しさを猫も感じていたのだろうか。

 あたしが落書きする女の子は大抵裸足だ。自分がそうだったから。
 小さな頃は猫と一緒に縁側から家の出入りをしていた。畳ですると叱られることも、縁側では足跡をつけても摘んだ花を置いても、後できれいにすれば其れで済んだ。
 庭にはすみれも咲いた。野に咲いた花と庭に咲いた花、店で売られている花と庭に植えた花、どれが一緒でどれが違うのかずっと知らなかった。
 鼻先につく風の匂いや手についた土の汚れ。無雑作な春と共にハルジョオンはあった。

 ユーミンの「ハルジョオン・ヒメジョオン」がたまらなく好き。あれがあたしの知る春。
 熟れ過ぎた夕日は今にも崩れぼたぼたと落ちそうで、あたしは壊れそうになる。

拍手

      郵便箱

頁を戻る頁を捲る

少しだけ


 雨の中、傘をささずに歩く。濡れても気にならない程度の小雨が頬を撫でていく。書類を入れたリュックサックは重い筈なのに、重さを感じない。専門家でも滅多にない事例は手引書とにらめっこするのだなと想うと、自分が壱度出直しているのも当然だと想えた。
 去年の夏、暑過ぎて葉を真っ黒にしてしまった遊歩道の樹木が赤い実を生らしている。光の加減や其の反射に因るものだろうか。雨に濡れるとみな輝いて美しく見える。

 今朝、壱日雨だとわかっていても洗濯をした。
 掃き出し窓の傍にタオル掛けを置きうす紅色のバスタオルを拡げると、泣きたくなった。それほど明るくない雨の日の窓辺が愛しいものに変わっていた。

 混乱が邪魔をする。あたしは何をするでも時間が掛かる。把握できたら打って変わって進み具合は良いのだけれど。
 おっとりした性格は後から付いてきたものだと自身は知っている。

 少しづつ。少しだけ。唱えるように雨の中、呼吸する。
 例えば魚の何処が好きか。水の中で呼吸できるところ。身の引き締まったところ。群れたときの美しさ。疲れ知らず。・・・高慢でないところ、などと想い浮かべては雨に濡れて歩く。或の信号を渡り終える頃には、少しだけきれいに歩けているといいと想い。

拍手

      郵便箱

頁を戻る頁を捲る

波打ち際


 珈琲、飲むでしょう?、と背後で声がする。珈琲ポットとカップをふたつ手に彼が階段を上がってくる。弐階に置いた机兼卓に不器用に並べていくのを、はらはらしながらあたしは見ていた。珈琲が零れることなくカップに注がれると、座る前にあたしはベランダを覗いた。
 何の用があったのだろう。忘れてしまった。
 ベランダには後ろ向きで座っている男がいた。何をしているのだろう。外の様子を窺っていたのだろうか。短髪に黒いジャンパー。叔父だと判るや否や、あたしはベランダに置いてあった如雨露を抱えるとそっと近付き背中を思いきり殴った。
 相当痛かったのだろう。叔父はううっと声を出し身を屈めた。が、次の瞬間ベランダの柵を越え屋根に上った。下りられそうなところを探している。そんな男は放っておくことにし、おそらく壱階で物色中であろう叔母を探すことにした。
 夢はそこで覚めた。

 夢の中であたしは怯えていなかった。不安になることも悩むこともなく立ち向かっていた。其処には鳴りやまない音を聴いていた、いつかの夏の日のように、心を決めてしまった自分がいた。胸の内が明るく光る。目を閉じれば波打ち際に立っている自分。押し寄せてくる幾つもの波。海鳥が飛んでいく空が青い。
 きっと彼は待っていてくれる。珈琲を飲みに席に戻ろうと想った。

拍手

      郵便箱

頁を戻る頁を捲る

続き


 頭がはっきりせず躯が怠く、苦痛を感じ横になる。永遠にこのままでもいいと云うような、死んでしまいたいような、気持ちが生じ気が付くと眠っていた。
 目覚めてぼんやりした視界に彼が入る。視界に彼が入れば苦痛は和らぐ。昨日も其の前も。特に意識しなかっただけで、たぶん其れは何年も前から。
 おもむろに立ちあがり台所へ行き、朝淹れた珈琲をカップに注ぐ。ついでにとヨーグルトを口に入れたりしているうち、一緒に過ごした時間の続きが始まり、自然と姿勢を整えている自分がいる。
 日々、其の繰り返し。

 刻まれる一瞬は何故起こるのだろう。其の記憶が自身を使い果たした後朽ちようなどとと云う想いに至らせる。
 こうして日記をつけている間にも、カタカタと云う音が耳に入る。亀が動く音が聞こえる。亀たちより長く生きる自身なんてあたしにはないから、とあれほど言ったのにと想い乍ら朝に夕につきあう。言葉は発する人により遠かったり近かったり感じるのに、此の家の空気は変わらない。どの方向を向いていればいいのか、答はすぐに出てくる。

 煩わしい時間は棄てていく。これからは選んで続きを過ごしていく。
 あたしを押さえつけようとする者たちは、何年経ってもあたしを勝手だと自分の為に何もしてくれないと言うけれど。

拍手

      郵便箱

頁を戻る頁を捲る

足取りは軽く


 裏通りを歩く。桃色の椿が花を咲かせていた。
 風が強い。昨日、春一番が吹いたとニュースで言っていた。

 ひとりで散歩に出る。ひとりで歩く。なのに必ず彼も一緒で、どちらかが椿が咲いていると声を掛ければふたりで眺めると云う具合。それだけふたりで過ごした日々があたしに刻まれていて、何の不思議もなく毎日彼と会話している。
 彼のきょうだいは子を失くす母親ほど辛いものはないとか、まだ彼の姓を名乗っているとならとか言うけれど、あたしと、あたしたちと、感覚が異なるようで話がよくわからない。
 何故誰かと出逢うのか、誰かとともだちになるのか、一緒にいて倖せだと想うのか、改めて知った気がする。

 昨日から使うようになったタオルは、彼の好む厚くふわふわとしたタオル。苦手だった筈が髪を拭いたらいつもより早く乾き少しだけ好きになった。
 ほら、ごらん、などと彼は言わない。未使用のものを手に、どうぞ、と言うだけ。

 頭をなんとかリトルミイのようなおだんごにし、黒いワンピースに黒いシャツジャケットで歩く足取りは軽い。
 彼のともだちから、次の次の土曜日そちらへ行くと連絡が届いたばかり。

拍手

      郵便箱