例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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亀たちの表情


 気温が上がる頃家を留守にすると、亀たちが心配になる。おそるおそる家に入ると、気付いたのか小さい亀がばたばたと騒ぎ始めた音が耳に入る。
 想ったより水は汚れていなかった。けれど、食欲はそうでない。あーんて大きく口を開けたり、じーっとあたしの顔を見たり、空腹になっているのが見て取れる。
 なんとなく亀のことがわかるようになったように、亀たちの方もそうなのかもしれない。

 あたしが育てた猫は、ふみふみの仕草を全くしなかった。かつて唇の内側を噛む癖のあったあたし。嫌がるほど一緒にいることを強いたのではないか、とずっと後になり想ったけれど、帰宅時には待ちかまえていたようにいつも迎えてくれた。何をしても怒ることはなかった。
 久し振りに亀に求愛の仕草をされたが、疲れてしまい鏡に代わってもらった。強いられているのは自分の方ではないかと想い笑う。

 此の夏も、いつのまにか眠ってしまったあたしの隣で、亀たちは首を放り出して眠るのだろうか。
 目を開ければカメラを向ける彼がいて、夢からいつまでも覚めないあたしがいて・・・。これからもそんなふうに過ごしていく気がする。

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西日の射す部屋


 薄手の手袋をしていても、爪に土が潜り込む。雨あがりの日、草の匂いが鼻につく。
 余りにも伸びてしまった草をどうしていいか迷い、石畳の上壱枚壱枚にまとめてむしった草を乗せる。乾けば嵩が減るだろう。次に来た時にでも袋に詰めればいいかあ、なんて。

 洗濯し、敷物を替え、冬物をしまうとくたくたになってしまい、買い物は鮪の切り身になった。
 夕食は握り寿司に出汁巻き卵、茄子のうりもみ、大根のお味噌汁でおしまい。

 奥の部屋に西日が射すのを眺めながら、此処を台所にしてそっちを自室にするのが壱番だな、とにんまりする。
 熱い薬缶の痕を付けてしまったと想っていたとうさんの縁台を改めて見てみると、薬缶の痕にしては小さいので首を傾げる。然も白い痕は数箇所ある。勘違いをしていたのだろうか。
 試しに薄茶色のオイルを塗っていくと、白い痕は表面に乗っていただけらしく剥がれていった。

 とうに無くなってしまった家を頭に浮かべると、狭い掃き出し窓に西日が乗って綺麗だったことを思い出す。あれも父が考えた家だった。

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真赭色の傘


 表は激しい雨が降っている。傘を拡げると、真赭色が玄関の硝子から抜けてきた表の明かりに透け、いっそうやわらかな朱色に変わった。
 濡れてしまうのだからと、素足にサンダルを突っ掛け外へ出る。

 玄関の脇に置かれている大きな鉢植えは、立派な葉だけが残った。アマリリスの花を切り落とし花瓶に生け、とうさんに供えるなんて想ってもいなかった。
 其の向こうの大きな鉢植えも、大きな花をつけた。名前を知らない赫い花も、アマリリスが枯れる頃にはやはり花を落とされ、とうさんの前に置かれるのだろう。

 母の家に防犯カメラを設置しひと月が経った。これまでと異なり、家の中に変わった様子は見られない。
 数年に渡り空き巣に入られ家の物をなんでもかんでも持ち出され、疑心暗鬼が生じてしまっているらしく、今も自分のものだけ悪戯していくけれどね、と母は言う。仕方ないことだと想う。母の齢で家の物どころか自分の持ち物を全て把握するのは難しい。
 尤もとうさんは違った。家の物や自分の持ち物の数が圧倒的に少なかった。其れをひとつひとつまるで博物館の展示物のように並べて置いていた。

 いつかあたしがひとりになっても、高齢と呼ばれる齢になっても、「平気。」。ぽつんと放った言葉が真赭色の傘の内に包まれていく。
 伍月。雨はもう冷たい雨ではなかった。

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絹さや


 やわらかな緑はあたしをいつも倖せにする。
 今日、取り立てだよ、と手渡されたビニイル袋に入っていたのは絹さやだった。ふれなくても、匂いを確かめなくても、新鮮だとわかる緑色。

 通り抜けるとき躯が当たる都度、しゃらしゃらと歌っていた麦の穂。マーガレットとスギナで埋め尽くされていた野原。同じものが増えていったカエルの人形。絶対好きだと想うと言われ贈られた奄美の森の寫眞集。彼と寝転がり見上げた森の樹々。・・・。
 植物になりたい、とつぶやいた日々。

 引っ越す前に画材店に行ってみよう。緑色の絵具を幾つか揃え、みつめるだけみつめたい。想像しただけで溶けてしまいそう。
 今頃家では、掃き出し窓に掛けたうす緑のカーテンがくすくすと笑っているに違いない。

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憩う


 デジタルカメラで撮影したものを印刷すると、ポラロイドカメラで撮影した寫眞のような正方形の画が出てきた。設定の仕方がよくわからない。
 ポラロイドカメラが欲しかったあたしは、正方形の画に悦び、そのまま印刷することにした。インキを入れ換え試しに何枚か印刷する筈だったのに、気が付けば伍拾枚程残っていた用紙が無くなっていた。

 景色ばかり寫していたと想っていたのに、彼を寫したものも結構あった。
 あたしの寫っているものは其れ以上にあった。パジャマ姿で亀と遊んでいるうち眠ってしまったらしいものが何枚もある。誰にも見せられない寫眞。彼しか知らない自分が其処にいた。

 あたしは今も彼の隣で憩う。
 好きとか嫌いとかさえも意識から消えてしまった空間に身を委ねると、大好きな夏の匂いが鼻先をつついてくる。いつものようにあたしはカメラを構えシャッターを切る。フイルムは入っていない。これからは胸に残していく。
 彼を寫した寫眞が増えることないように、あたしを寫した寫眞が増えることもないだろう。

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