例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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ストレート


 失効される前に彼のカードに入っていたお金を使うべく、家から離れた店までひとり徒歩で行く。狭い店舗に所狭しと物が並べられている其の店に、コロナ禍になり彼がひとりで行くようになってからあたしは行っていなかった。
 高速道路下の長い横断歩道を信号を気にしながら早足で渡ると、八百屋も食料量販店も花屋も消えていた。肆年半の月日に改めて圧倒される。

 ロールパンの他にクラッカー、パンと言うよりスナック菓子のプレッツェル、・・・、と日持ちしそうな食品を選ぶ。帰り道、ひとつくらいなら缶詰も持てたなあ、と想う。
 帰宅し彼に意気揚々とし、使い切った、とカードを見せ、これで全てカードは処理しました、と彼の脇にカードを置いた。

 何箇月掛かっているのだろうと想っているかもしれない。けれど聞こえてくるのは、よかったね、のひと言。
 要らないことは言う必要がない。それより真っ直ぐな自身の言葉を自身から拾いたい。あたしの言葉、真っ直ぐに突き刺され。そう云う想いで絶えずいられたらいいな、と想う。

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アメリカンチェリーとサワーチェリージャム


 さくらんぼも随分高額になってしまい眺めているだけにしておこうかと想ったものの、アメリカンチェリーならなんとかと思い切って買ってきてしまう。赤い実の甘酸っぱい味に弱い。
 洗って硝子の保存容器に並べたアメリカンチェリーは瑞々しく、夏の朝の美しい光を思い出させる。其れを口に入れると深い呼吸とともに姿勢がよくなり、躯が洗われていく気になる。

 口の開けていないサワーチェリーのジャムが台所の棚の上にひと瓶乗っている。冷蔵庫には焼くだけでいい手軽な冷凍のパイシートが残っている。
 好きなものを眠らせておくのはいい。贅沢して買ってしまったローズティーも卓の上の小さな籠の中で眠っている。

 壱昨々日と壱昨日の夕食はパックのうどん、具は竹輪と蒸したきゃべつ。昨日はかつを節のおにぎりと豆腐、と粗食であっても好きなものに違いはなく、それはそれで倖せな気持ちになるのだけれど、たまに普段口にしないものを口にすると明るい気持ちになる。其れが好き。
 ローズティーとサワーチェリージャムのパイを並べて想像し、素敵と笑い彼に目線を合わせると、ピンクストロベリィのリキュールを加えたらと教えていた。

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名残


 彼の使っていた塗り薬と飲み薬は壱度整理した。口の開いていない塗り薬はまとめて籠に入れ、飲み薬は書類が多く無雑作に箱に入れただけにした。
 やっと飲み薬の書類を整理する気になり、箱を開け見てみると、束になっていたのは薬の入っていた空の袋だった。書類は余りなかった。入院中は其の都度薬の説明書が出されたわけではなく、袋のみ渡されていたことを思い出す。
 袋に記載された名前の部分を切り取り、シュレッダーに掛ける。胸が破裂しそうになる。夢中で名前の部分を手で破り袋から離し、シュレッダーに掛ける。後に看護師の方から聞かされた、ふたりで頑張って・・・、の言葉が耳に響く。

 どれをいつ何錠飲むか、あたしが手書きで記し冷蔵庫に貼っていた用紙は書類と一緒に残した。
 いろいろなものを壱度で破棄できない。幾度も整理を繰り返す。

 自分の内に、消えていかないものが、ふたつみっつ・・・とある。名残は完全には消えない。時間を掛けそれらは自分を支えるものとなり、更に長い時間を掛け軸となった。
 書架でひと際目立つ背表紙の青く大きい文字。北方謙三・長濱治著の「魂の十字路」。名残。其れはあたしとあたしのだいじなものが交差する地点。

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視線


 壱日佰枚印刷し、述べ千陸佰枚程の寫眞を収めた陸冊余りのアルバムができあがった。フイルム寫眞を足したら何枚の寫眞になるだろう。彼とあたしと、どちらが寫したものか余程でない限り判断がつくもので、一緒に過ごすことがどう云うことなのか改めてわかる。
 ひとりよりふたりの視線はより多角的に物を捉える。あたしの寫眞は建設物を寫したものが少ない。寫っていても景色の壱部になり、小さくてはっきりしない。何処へ出掛け何処で寫したのか、他人が見たら全くわからないだろう。自分だけが知る小さな世界。記録でなく、旅の思い出でなく、全くの日記。詩も散文も絵も寫眞も、あたしのは個人の日記だ。
 「壱番奥にしまった物語」。其れを他人に話す気もなく、読んだものがわかるように書く気もなく、胸から零れた想いを残らず拾いあげようと疾走するように綴っていく。拾漆歳の頃のように。其れを書いた自分以上に読み取った彼。出逢えたことは奇蹟だった、と今にして想う。

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人生最後の


 少し期限の過ぎてしまったランチョンミートの缶詰を開ける。塩分丗パーセントカットと記載されているが、塩辛い。ランチョンミートを崩し細かく切ったアボカドと和え、蒸したオクラと紫蘇でくるみ食べたら塩気が気にならなくなった。
 彼はランチョンミートだのコンビーフだの、魚肉ソーセージ、タイカレー、パクチー、アンチョビ、・・・、と酒類と輸入食品の置かれている店に行くと酒と一緒に何かしら買っていた。どれもあたしが口にしてこなかったものだった。

 焼いて、其の方がおいしいよ、って言うかな。もう少し待って苦瓜を買ってゴーヤチャンプルを作ったら、とでも言うのかな。
 たぶん人生最後のランチョンミートになると想う。全部サラダのようにしてしまった。残りはサンドウィッチにして食べようか。

 開けてなかった酒類は差し上げたけれど、口の開いた綺麗な青い瓶のジンは残した。それからウヰスキーとリキュールは、おやつ用に。真似をしてアイスクリイムにかけて食べたらおいしかった。

 明日、段ボール箱ふた箱分のフロッピーディスクを塵に出す。此れが何だかよくわからなかった。
 彼の友人がお線香をあげにきてくれなかったら、先ず分類毎に仕分けして、と整理しているうち少しづつわかってきてひと月程掛けて処分しただろう。それも悪くはないのだけれど。

 彼がいたから知ることができたこと。彼がいたから自分にもできたこと。そう云うものが沢山あること。これからも続けていくこと。たぶん最後だと想うこと。
 抱えたものは余りにも重く大きく、家賃を気にしつつ、整理はゆっくりでいいよ、と自身に声を掛ける。

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