例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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Hydrangea otaksa


 紫陽花を買うのは初めてだった。小振りの白に水色が混じった花は飾り気がなく可憐な姿をしていた。
 明日から陸月、水の月。階段を上った処にある神社は陸月になると紫陽花で埋もれた。弐度其処で彼にカメラを向けたことを憶えている。緑の中でうす緑がかった白い紫陽花が美しかった。

 紫陽花を買ってみたの、と彼の脇に紫陽花を飾る。青色は苦手だけれど、藍や亀覗きは別。不思議と気持ちが落ち着く。
 雷雨に濡れ歩いたことや、金魚を飼ったことや、埠頭に好んで出掛けたことや、水にまつわる出来事をてのひらに乗せればゆらゆらと揺れる水が炫(きら)めく。暫し其処であたしもゆれていたい。

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夏椿


 今晩は胡瓜とわかめの酢の物。そこにしらすを添えよう。粉と豆と珈琲の袋をふたつ買い歩く道すがら、夏椿の花が開いているのをみつけた。
 やわらかそうな花びらと果敢なそうな白い色。そう云うものに惹かれてしまう。彼の骨に似ている。ふれてみたくなる衝動。けれど想うだけでふれはしない。

 夏椿。そう言って此の花をみつける都度笑ったあたしを、彼は憶えているかもしれない。
 夏椿。咲いていたの。冷蔵庫を開け取り出した鯛焼きに似せたアイスクリイムを咥え、彼の前に座る。
 其の後は黙ったままで座っている。いつもそうしていたように。

 静かな空間。蒸した空気。夏の匂いが少し混じるようになった。
 壊れそうで壊れない日傘を心配しながら、まだ袖を通していない麻のTシャツのことを考える。女性ものしかなかった。男性用があれば、彼も着ただろうか。
 薄い生地。白も壱枚買った。夏椿に似ているかな。袖を通したら彼に見せよう。きっと黙ってはいるけれど、笑うあたしを其の眼に映してくれるだろう。
 夏椿。弱々しく見えるのに凛として感じられる。

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ハーブティーを淹れた朝


 いつか口にしたことのある色と味だと想い記憶を辿る。
 越してくる以前、参日に壱度こしらえていた大麦、ハト麦、どくだみ、と数種を混ぜたお茶の味を思い出す。彼の持っていく水筒に毎日入れていた。いつの間にか店頭から消えた袋に変わり、ティーパックの麦茶を淹れるようになり、以来口にすることはなかった味だった。あたしが匂いも味も苦手で濃さを確かめる為時々口に含むくらいだったお茶を、彼は好んで飲んでいた。
 珈琲の代わりに今朝は其のハーブティーを彼に出す。懐かしい味だね、と言うと、うんと云う返事があったように想えた。一緒に過ごすと云うことは、そう云うことなのだろう。事実とは異なる話に困って彼の友人に話をしたとき其の人は、彼はそう云うことは言わないな、とはっきり否定してくれたけれど、それも同じだろう。
 預けた覚えも任せた覚えもないのに、互いに言動が読み取れる関係。不可解と云う言葉が無い。同時に相手の奥の奥まで踏み込み荒らす気持ちはなく、何かの拍子に開きかかってしまった扉を閉める。
 誰も誰の心の奥はわからない。だからそっとしてだいじにしたい。

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酔ってしまいそうな色に


 あちこちで山吹の花が開いた。或の鮮やかなきいろを素敵だと言い笑っていた彼。きいろは好きでなかったから、山吹の花を眼にする都度、酔いそうな色だと言いあたしは早足で通り過ぎた。 ツツジの赤紫色と言い彼は鮮やかな色を好んだ。
 赤紫色の薄手のナイロン製のパーカーを素敵な色だと言い彼が買い求めたとき、あたしは笑うしかなかったけれど、何処へ行っても遠くから彼をみつけられた。
 真赭色のガーゼのストールをあたしが買ったとき、痒くならないと言うと、彼も赭色のものを買い捲いていた。
 彼が数回しか使わなかった薔薇色のバスタオルを、今はあたしが使っている。酔ってしまいそう。髪を包み笑う。
 眼にする都度酔ってしまいそうになる色は、そのまま彼になった。

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 位はあたしたちに似合わず、今後位のない法名になることを好ましく想う。徳を積むと云う考えもなく、暮らしに於いて誠実であれば其れでいい。
 寺に挨拶にあがると、戒名のように肆文字でなく弐文字になると教えられ、彼の法名の壱字は静にして貰った。其のとき父の法名を訊かれ、あたしはきょうを教と応えてしまったが後で間違いに気付く。父が頂戴したきょうは、物事を疎かにせずつつしんで行動する、と云う意味を持つ敬だった。
 似合っていると想い頬を緩ます。もっとしっくりした文字があるかもしれない。また無いかもしれない。ただ受け取ったとき清々しい気持ちになれば其れでいいかと想う。

 何かの拍子に思い出しては苦しみを覚える人がいる。壱方で想う都度心休まる人がいる。何処までもそうで、決して交わることはない。混じり気のない想い。つつしんで人に想いを馳せる。

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