例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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匂いと記憶


 朝から暑い。今朝は珈琲でなく酸味のあるローズティーにした。
 洗濯物を干し終え、玖時丁度に家を出て水を汲みに食料量販店に向かう。給水サービスコーナーの前で首を傾げている人がいたかと想うと、廿分後今日は使えないのでと店員に言われる。
 帰り道、泣いている自分がいた。それで弱っていたことに気付く。

 毎日正常に自分を動かすには、玖分目辺りまで使い壱旦休み充電するのがいいのだろう。
 実家に帰ると母が、休んだら、お茶にしたら、と度々声を掛けてくる。そんなに休憩をとらなくてもと想っていたけれど、自分の方が時間の分配ができていなかったのかもしれない。

 帰ってから横になり眠ろうとするが眠れない。
 今日は父の誕生日だったなとぼんやり想う。
 自分に何があるかと言えば(自分だけの)記憶しかない。其処はメモリいっぱいまで使っていいと想う。
 此の数箇月の記憶と疲労の均衡が悪いように想えてきた。

 明日水汲みのついでに桃を買おう。ひとつは父に、ひとつは夫に。
 食べ終えたら皮と種は紅茶に入れよう。あまい匂いは人を元気にする。其の記憶が引き出され、蘇生でもするかのよう背筋を伸ばし椅子に座る自分を想像し眠りに落ちていった。

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ひねもすのたり


 反応できなくなっているだけで、感情はある。反応と感情がうまく繋がっているときは、笑ったり怒ったりもしている。
 他人の気持ちに影響されやすいとわかっているので、感情的になり他人とやりとりするのを嫌う傾向にあると想う。自分から辛かったことや悲しかったことを話すのが苦手になったのも、他人に愚痴を聞かされるのが辛くて嫌だったからだ。だいたい愚痴を言いたがる者に悲しかったことを話しても、自分なんてと言われ愚痴を聞かされることになる。

 年々人付き合いの数が減っている。
 自分が死んだら、孤独な人だったとでも言われるのだろうか。
 暮らしだけそこそこにできていたなら、それでいいかと想い始めている。

 起きて塵出しして洗濯して掃除して買い物に行ってご飯を食べて・・・。鳥の声、蝉の声、水音、風の音、草の匂い、・・・。
 (政治とか戦争とか、理不尽とか不平等とか、酷い話だと想うこととか納得いかないこととか、あるけれど、)時々彼に話し掛けてはひねもすのたり。

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竜胆色


 また竜胆にしてしまった。今度は弐本ひと束で売られていた。
 青い色を見ると何故か憂鬱になるので、なるべく見ないようにしたり傍に置かないようにしている。それだけに好きな青がみつかると和やかな気持ちにつつまれる。今、普段使っているペンも青、竜胆の色を想わせる青で、雑記帳が埋まっていくのが愉しい。

 今朝、金属製のワゴンをひとつ塵に出した。車輪が壊れ、籠の形も歪んでしまっていた。
 ワゴンはあとふたつある。天板が付いた方を残そうと想ったのに、此れも車輪がうまく動かなくなっていた。もうひとつのワゴンは車輪はしっかりしているが、天板がなく、籠が外せない作りになっている。壱番使い勝手の悪いものを残すより、もうワゴンは無くそう。

 ずっとアパート暮らしをしてきたが、此処で壱階全部借りられるようになり、机や鏡台を置き花もあちこち飾った。
 今度住むのは母の家。今まで考えなければならなかったことを考えなくていい。釘を好きに打てるし、家具も或る程度なら好きに買えるだろう。
 それから或の高そうな大きな花瓶に、いっぱいの竜胆を飾ったらどうだろう。竜胆の色があたしにやわらかな夢をみさせる。

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 アンドリュー・ワイエス展が開催されると知り喜んだのも束の間、都心から遠いどころでない場所だった。が、すぐに田中一村展が東京美術館で開催されると知り萎えた心が幾らか戻る。
 もし田中一村展も行くことができなかったなら、アンドリュー・ワイエスの画集の購入を考えよう。持ち運ぶでも木製の机で拡げるでも頁を捲るでも、紙に印刷されたものの落ち着いた佇まいを愛さずにはいられない。
 画集は高額で、数えるほどしか持っていない。どれも肆千圓前後で買っている。これから傍に置くものを考えたとき、自然にお金の使い方も変わるのだろうなと想った。
 こてから今よりもっと倖せになろう。今日より明日、明日より明後日。それらを紙に綴る。紙に描く。紙に寫す。静謐なものが瞼の裏に現れる。自分も其処に近付けたらいいだろうにと想う。

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太陽黄経135度


 夕刻伍時半にやってきた雷雨は捌時まで続いた。間隔がない雷鳴に地割れが起こったかと錯覚する。近くの公園に避雷針が立っていることを思い出し、そのせいかとも想ったけれど実際のところはわからない。
 市内では道路が冠水したり川が氾濫したり停電したり落雷があったりしたそうだが、雷雨の最中玄関に出て外の様子を見たときには停電も冠水もなかった。

 今朝はツクツクボウシの声を初めて聞いた。新聞を拡げ今日が立秋だと知った。
 朝食も夕食も珈琲とヨーグルトで済ませたが、昼は拾割蕎麦を茹で買ってきたかき揚げをのせて食べた。蕎麦つゆもお代わりした。

 今年も秋物の服は買わなくていいかと想う。春になる頃にも同じようなことを口にしていた気がする。
 冬はしっかり季節を感じられるのに、春秋どころかあれほど好きだった夏もただ暑いとしか想えなくなってきている。自分には過酷とも想える此の環境を子ども達は超えていくのだろうな。ただそんな子らの姿も見えず声も聞こえてこないのだけれど。

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