例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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聖者のラプソディー


 回覧板に入っていた広報を頼りに無料相談所を訪ねた。深刻な相談でもなかったからか、終始笑いが絶えず、ほぐれた気持ちで帰宅する。
 紹介していただいた司法書士の方も話やすく、また料金の方もお願いしやすいものだった。父が亡くなったとき紹介されお願いした際の料金の半分なことに、何も知らなかった頃の自分を想う。そして、過ぎ去った時間が無駄でなかったことと同時にやさしいものになってきたことを感じている。

 かつて彼に、親のしていたことはなんとなくできるようになるのよ、と言ったことがあるけれど、父と同じような道を辿っているような気がしないでもない。
 彼についてはどうだろう。お蕎麦、と言うと、無理とひと言返って来るけれど、先のことは本当にわからない。
 突然悲しみはやってきて、最悪と想ったことは覆り、更に起こった腹が立つことを原動力にし図太くなる魂。一生呪うのって嫌いじゃないの、とカラカラ笑い今日も胡瓜を齧り、口遊むのは(ストリート・スライダーズの)聖者のラプソディー。

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続き


 昨日の続き、棚から天板を外す作業は呆気なかった。昨日壱枚しか外せなかったので、てっきりあと弐、参日掛かるだろうと考えていた。
 天板を掃除し裏返し紙やすりを掛け水性ニスを塗っただけでも印象が違う。できるかできないかで言ったなら自分はできない人だと想うのに、そう見られることなくきたのは面倒臭がってしない人がいる御蔭に違いない。
 父、あたしが直して使うとは想わなかったろう。・・・とひとりごちては、したり顔になっていると想う自分に笑う。

 休憩に冷蔵庫からストックバッグを選び、味噌と混ぜた胡瓜を取り出して齧る。たった此れだけ、味噌と混ぜたでもおいしいし、ストックバッグや保存容器が並ぶ冷蔵庫は愉しい。
 毎日泣きはするけれど、愉しんで生きているよ。あれからも倖せなまま過ごしているよ。これからも倖せになろう、と彼に胡瓜を差し出した。

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やり直す


 外に置いた棚を直す作業を始める。
 誰が天板を付けたのか、釘の色がばらばらだ。そのうえ深い傷があちこちにあり、板を剥そうと釘を抜こうとするが釘はなかなか抜けない。板の厚さに対し余りにも長い釘が打ってあり、其れが打たなくていい箇所にまで打ってある。なんて好い加減な作業なのだろうと想う。
 廃棄しても困らないのだけれど、やり直したい気持ちの方が大きい。

 釘を抜くのは容易でなく、午后は和室に置いていた仏壇を母の部屋に移すことにした。
 母の部屋に続く障子を開ければ仏壇、と云う位置に置いていたが、移してみると線香をあげるでもご飯を供えるでも傍に花を活けるでも具合がいい。
 仏壇の隠し扉には小さな巾着が入っていた。中には痒み止めの塗り薬が数本。母が頼んでも医者に出して貰えず、伯父が分けてくれていたのだと聞いている。叔父夫婦に盗まれぬよう入れたのだろう。だが、仏壇に入れた生活費も抜き取られたのだ。入れ歯さえ持って行ってしまうような人たちだった。

 玄関を上がり、すぐに仏壇が眼に入る家はないのだろうが、あたしは気に入り、父に我が儘をした。「守ってね。あたしと一緒に此の家を守ってください。」
 何日掛けてでも棚を直そう。お金が掛かっても屋根も修復してもらおう。例え明日死ぬ運命だったとしても。

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今年の西瓜


 今日は微熱があると説明され部屋に入る。呼びかけても眼を閉じたままの母。指に指を絡めると反応がある。躯を撫でたりしては、ときどき反応のあることに安堵し、部屋を出る。
 帰りに食料量販店に立ち寄り、カップに入った西瓜を買った。
 夏だからみんな気をつけて、と汗だくになった服を放り投げ西瓜を食べる。みんなは自分であり夫でありカエルの人形であり父であり、母だ。相手が何処でどうしていようとあたしは西瓜を差し出す。

 今朝は母の部屋を掃除するのに久し振りにベッドを動かした。
 母が寝起きしているときは問題なかったが、窓の開閉がベッドに乗らなければできず、動かす必要があった。掃除にはベッドを玖拾度動かしたかったが、母がトイレに行くのには今の方が都合が良いので向きはそのままにした。
 ベッドの位置をずらした分家具の置き場所も替わり、窓からの光が上に乗せた人形や引き出しの中身をはっきり見せる。
 ほらっ、と言うと、母の笑顔が見える。西瓜おいしい?、と訊くと、兄が生きていた頃は毎年大きいのが幾つも、と返ってきたので、まあまあとなだめておいた。

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家族


 父は父で母は母で兄弟は兄弟で、家族と云う概念が自分は欠如していたのだと或る程度の齢になり想ったものだったが、今も其れはあやふやなものでしかなく家族と言えば夫なのだ。
 公的な書類と自分とが乖離している自覚はあっても意識の問題であり、対処できるので、此の先も乖離したままだろう。

 問題は困ったことがあっても、家族がやればいいんじゃないですかと済まされることがあることだ。現在でも病院や行政でも此れしか言わず結論にする人がいて、その対応に感心するばかり。

 子供の頃、田舎の何処の家にも存在した祖父母がうちにはいなかった。
 父を忙しい人だと想っていたけれど、人が少ない分動いてたいへんだったかなと今になって労いつつも、家族と云う言葉は自分に入ってこない。

 家族の言葉より、いつも其処にいた人、損得の無い人、道理のしっかりしている人、うんと腹も立てばうんとやさしいと想う人、そして今でも其処にいてくれる人、・・・と想い描けることの方が嬉しいから、それでいい。

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