来たよ、と声を掛けると笑顔を見せ、花瓶に活けた櫻の寫眞を見せれば眼を輝かせ、帰り際になれば、躯をさすってあげたことに、温かったありがとう、と感謝する母に、叔父夫婦や叔母の言動が浮かんでくる。
いったい彼らは母の何を見ていたのだろう。
余りにも表面しか見ず他人の話は聞かず、自身の都合の良さと表面で判断していると想われる彼らの言動は、薄っぺらで軽く感じる。事ある毎に相手にできないと言い早々と済ませたがるのは、おそらく面倒なのでなく言葉が足りないのでなく、説明できるほど語るものがないのだろう。
簡単に済ませることは自身を失っていく行為。他は知ることも理解できるものでもなく、少しでも知りたいと理解したいと想うものだろう。けれど自分には理解したくもない人たちがいるのも事実。
思い出しては疲れて躯をまるめ眠る。其れを拒絶するかのように。
