例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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静物との対話


 予定より拾日早くカーディガンは仕上がった。ラグラン袖にケーブル柄にしたカーディガンは躯にぴったりしている。寒い弐月に似合うだろう。袖丈も身丈も襟の開き具合も随分躯に丁度良い大きさに仕上がったものだと、自身に感心する。
 机に置くと、英国羊毛100パーセント使用の毛絲は羊を連れてきた。少しだけ枕にしていいか尋ねると、ぼくも寒いからくっつこうよと目を逸らして言う。恥ずかしがり屋はすぐ判る。一緒にうとうとすると気持ちよかった。

 自分では憶えていないけれど、母は躾として出掛け先で子が何か強請った場合、金額に関係なく買うのはひとつだけと約束させていたと聞いている。或る日祭りに出掛けると出店が並ぶ入り口ですぐにあたしが強請り困ったと想ったそうだが、他の物を強請ることはなかった云う。
 どうしても此れなのと説得までする子だったそうだが、今でも其れは変わらないと感じる。

 誰に教えてもらったわけでなく、静物と対話する。気が合いそうにないと感じれば対話はしない。
 魂が見えるわけではないけれど、特にそう云うことを想っていないけれど、本でも雑貨でもあたしにとっては互いに選んだ相手。目が合ったと想うとハローと手を振ってしまう。

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光の粒子


 光がゆれている。光は乾いていたり水分を含んでいたり、青色だったり黄色だったり、そのときそのときで様子が違う。橋の上で彼が覗き込んでいたのは其処に魚をみつけたからだと想っていたけれど、追っていたのは光だったのだろうか。
 水に奪われた輪郭。曖昧になった魚の姿。光に照らされた水面は生き物と化し様々な動きをする。
 あたしが逆光で寫眞を撮るのが好きだったのは、輪郭が光に透き通って美いだったから。金色になった彼の髪の先。見えたのはたぶん永遠。まぶしさとゆれていたのとで、いつもよく見えなかったけれど。

 猫がぷつりと姿を消した日から何年経っても猫を探している。拾年経っても廿年経っても変わらず、座布団の上に炬燵の中に猫を見ようとする。

 魚は光の粒子が集まってできた形。猫だって。彼だって。そんな気がする。
 形は脆く壊れやすい。粒子は其処此処に散って、彼らは今も此処に。
 ・・・・・などと話したら、やっぱり彼は黙って聞いているのだろう。

 彼の隣に置いた青い林檎を青い林檎と替えた。
 さげた林檎を半分食べたらあまくて泣いた。昏い台所で、ほら、かすかな光がかすかにゆれている。

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透き通る感覚


 紙の端にした落書きは、眼の中が塗られていない少女になった。

 空を見上げると時々其処に座っている自分がいるとあたしが言うと、彼は自分が空の中へ消えてしまう感覚になると言った。
 其処に溶けてしまったかのような感覚。透き通っていくような錯覚。

 光輝くような空を見ていたとき。草原で風に吹かれていたとき。櫻の舞い散る下に立っていたとき。のうぜんかずらのトンネルを潜り抜けていたとき。夏の日トーキングドラムの音を耳に入れていたとき。ひんやりとした川の水に足を浸したとき・・・。
 彼の隣にいた日々の或の透き通る感覚。
 名もない花や名もない鳥で埋まっている瞳(の感覚)。

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雪の降り積もる夜


 夜中に目が覚めた。いつもと違う空気。静まりかえった部屋。きっと雪は降り続いている。
 目は閉じている。しんしんとした雪の降る音が聞こえてくるようで、うたいたくなっていた。
 半分眠ったままで、生きることを素晴らしいと思いたい、とうたい、何故此の歌が口を突いたのだろうと不思議に想いながら、おまえと行きたい、ひとりぼっちはいやだ、と続けたあとで、あ、っとなった。

 あたしがかつて書いた何篇かの詩を読んだ夫は、其れをひたむきに生きることの願いと表した。其の中の壱篇に、ひとりを忘れる人と生きてみたいんだ、と書いていたことを急に思い出す。
 ずっと大好きな歌のような詩が書けたらと想っていた。いっぱいいっぱいで俯瞰することが全くできずにいた自分が書いた詩を遠ざけてみると、大好きな歌と比べれば稚拙で是まで気付かなかったけれど、書けたらと想ってきたことを既に書いていたことを知る。
 全くあたしときたら夢中になると、食事やトイレどころか、自身をも忘れてしまっている。夫は鋭い人だから、何かあたしにあるとは気付いていただろう。それでも、一緒にライブに行き聴いた歌に、あたしが好きだと言った歌に、変わらずに「其れ」があたしの内にあるのだとでも想っただろうか。

 縁だとか道程だとか彼とのことを考えると不思議だと想うことがたくさんあって、想った通り素直にいろいろ進めればいいと想えてくる。
 高台にあるお寺、田畑が見渡せる風景、空と風がよく感じられる場所、近くに川が流れ土手の道が続いている。其処しか見えてこない、と想いしんしんとした音を耳に入れながら眠りについた。

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雪が降る。


 雪が降り続いている。水分を孕んだ雪は積もることなくアスファルトを濡らし踏み出す壱歩を躊躇させる。
 空を見上げ立ち止まっているだけの雪。大きな硝子張りの窓の脇のエスカレーターに乗り、町に降る様子を見ているだけの雪。
 壱度も取り出されることなく、カメラも手袋も手提げ袋の中で静かにしている。

 かつてあたしは雪の日にだけ着るコートを持っていた。雪が降る日は数回に渡りカメラを抱え外に出ていた。朝だろうと夜だろうと、好きなときに出掛けていた。彼はそんなあたしに、いってらっしゃいとおかえりを言うだけだったし、時には一緒に雪の中を歩いたりもした。
 身構えることなく緊張することなく、顔色を窺ったり嘘を吐いたり相手に合わせることもなく、何より否定されない毎日が日常だった。歪んだ母性と決別することで、より大きな父性の寛容に抱かれたのだろうか。

 見下ろす町に雪が降る。あたしが死んでも雪は降る。いつの時代も其処にいるのは真っ直ぐな眼をした少年のように想う。そしてあたしはいつの時代にあっても、少年が雪の上につける壱歩を見守りたいと願っている。

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