例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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塵袋に入れる


 同じ布靴がみつかり購入を決める。
 荷物を持ち電車とバスを使い往復弐時間の道のりに役立った布靴に、お礼を述べ塵袋に入れる。履かなかった日は洗った日くらいで、殆ど毎日のように履いていた。
 長い時間履いていられる靴をみつけるのは難しい。中敷きを入れたりといろいろ工夫し、なんとか負担のかからない靴にしやっと笑うことができる。其れをたいして工夫することなく履いていられた靴だった。

 或のときも或のときも一緒だったと想うと、物を棄てられなくなる。これから使うか考えて棄てる決心をするけれど、これから使わないと想ってもどうしても棄てられないものができてしまう。
 ひとつふたつに留めておこうと想うのに、ひとつふたつでは済まずに、今、其の気持ちと闘っている。

 痛みが激しかったこともあり靴はさっと気持ちが動いた。こんなときに自身を褒めてやればいいのかなどと想いつつ、同じ靴を購入したことを彼に報告する。
 よかったね、とどんなときにも淡々とした素っ気無くも想える彼の声を聞く。あなたは棄てないの?と訊くと、棄てるのが嫌いな彼はやはり素っ気無い声で、あとで、と返してきた。

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泥付き野菜


 いとこたちから宅配便が届く。段ボール箱を開くと、立派なじゃがいもとひとりで食すに丁度いい小振りの玉葱が入っていた。早速玉葱を流しに移し泥を洗い落す。
 ひとつとり、薄く切り軽く炒める。生の玉葱の辛さが苦手だ。明朝食パンにチーズと一緒に乗せ、トースターで焼いて食べよう。保存容器に入れながら、くすっと笑う。次の夏が来ればいとこの家でうどんを茹でたり天麩羅を揚げたりして過ごすのかもしれない。そうして、ねーちゃんも食べてみ、と言われ柱の陰でこっそりつまみ喰いして、にこにこ笑っているのかもしれない。

 気負わず、身構える必要もない人と一緒に過ごす時間。道理、善悪、整合性、と其れがしっかりしている相手に、何も考えることはない。
 違和感は暮らしを脅かされるほどまでに大きい。
 真面目で固く面白みのない人間で一生を終えていいと想っている。そして、他人の役に全く立たなかろうが、取り敢えず信用してもらえる人間であり続けたいと。

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快適


 外は小雨が降ったり止んだりしていた。彼の使っていた大きなビニイル傘をさし町に出る。
 階段を上り駅のコンコースを歩き、駅舎を抜け、階段を下る。殆ど濡れずに歩けるけれど、周りは高層ビルばかりで風が強い。今日は風が無いことを確認し、商品券を握り主に家電等を販売している量販店に向かう。
 欲しかったのは0.28のSigNoの青いペンと0.38のPILOTの青いペン。それと以前と同じような仕様の電動ポット。

 ひとつひとつ淡々と片付ける。
 気が付くと彼や亀たちと話す以外、壱日無言で過ごすことが多い。自分のような者を孤独と言うのかもしれないとも想う。けれど、淋しいとも孤独とも想ったことがなく、寧ろ快適さを感じている。
 誰かと一緒に過ごすことは、相手により倖せにもなり苦痛にもなる。
 時々誰かを思い出す。時々誰かに連絡したりもする。誰かにとって同じように自分が時々思い出す相手であり、苦痛を感じなければ、それでいいと想う。

 彼に買ってもらった(ポイントを使い)布靴を洗ってみて、想った以上に傷んでいることを知った。
 また同じ靴が欲しい。とても歩きやすかった靴。今度も倖せを沢山詰めたく想っている。

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 古代蓮が開花した、と寫眞付きの新聞記事があたしたちに話題を提供する。電車とバスに揺られ辿り着いた町、蓮の咲く中を壱日かけて遊んだ。また行きたいとひと言発すれば、あたしより先に時候を捉え誘ってくれた。我が儘を聞いてくれる人だった。
 同じ眼をしている、といつか言われたことを思い出し、彼がリスペクトしていた彼の友人に想いを馳せる。粋な発想も周りを捲き込む愉快さも自分にはなかったが、夢中になっている姿が彼の眼に同じに映ったのだろうか。

 長い時間を掛け宿ってしまった死生観はどうしようもなく、あたしは今も彼と暮らしている。そうして、空想でなく、想像する。蓮の花、蝉時雨、木漏れ日、小高い丘。やがて花が開く音が聞こえ始める。其れは普段聞こえない音。花の持つ悦びと痛みまで耳に入ってくる。
 見ているようで聞いているようで、普段それほど見ても聞いてもいない。諳んじられるほど憶えていない。注意深く観察すれば、壱秒毎光は色を変え、壱秒毎水は形を変える。きっと彼も或の日壱秒毎表情を変えていただろうに、暑い空を見上げた遠いまなざしばかり瞼の裏に映し出される。

 例えば種はどれくらい眠ることができるのだろう。
 其処にあたしの過去と現在が存在し、彼の過去と現在が存在し、其々の時間が交錯している。あたしが知る此の種は、あたしが逝くときにでも開花するのだろうか。
 遠い眼をしている。此れは、彼でなく別な人に言われたこと。眼の前に起きている出来事を余すことなく捉えられたとして現実には足りず、厄介とも想える心に訊ねれば、頭にぽんといつか眼にした大きな蓮の花を乗せてくれるだけ。

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受け容れ難いものはひとつだって


 壁紙やシステムキッチンの戸棚の色などを選んでいく。薄っすらと紅色がかった見本を指し、和室の壁は此の色にしようかなと母に言うと、白にしか見えないしいいんじゃないと返される。あなたの方がこれから長いのだから好きにしなさい、と母は言う。人の寿命はわからないと想うが、有難く受け取る。
 父も母も暗い色を好まず、はっきりとした明るい色を好む。其の割には是まで何故か和室の壁紙が暗い抹茶色だったが。
 台所の敷物が墨色になることは、まだ話していない。システムキッチンの色は其れに合うように考えた。娘が墨色と木製の物をこよなく愛することを母は知らない。然も木製と言ってもつるつるに加工されていたりペンキが塗られている板が嫌いなことも。叔父が勝手に塗ってしまった縁側のベージュ色に激怒していることも。

 好きにしてから死んでいく。まだ愚痴が止まらない母に、叔父夫婦が空き巣してくれてよかった、汚いものを思い切って全部棄てられて新しい部屋に住めるなんて倖せ、今度ふたりに会ったらお礼言った方がいい?、と言うと母は爆笑した。
 爆笑されてお礼はおかしいかと想ったけれど、彼らは同じ世界にいない。改築した家に、父はただ、うん、そうか、と言うだろうし、夫もただふうんて言い昨日からそうしていたように椅子に座るだろう。そして猫と言えば、相変わらず足元に絡みついてあまえてくるのだろう。
 好きなものは全部。受け容れ難いものはひとつだって。縁側を塗ったのが叔父でなく伯父だったなら、今頃どうしたら素敵に見えるか考えていただろう。

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