例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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予定は未定


 特に食欲も落ちてなく此の頃の強い眠気は何だろうと想っていた。昨日も今日も壱日殆ど寝たきりになり、丗陸度漆分まで体温が上がってしまったからだとやっと判る。
 少し気温が上がると頭がぼうっとしてくる。其れに慣れてしまい気付かなかった。熱中症になるときも、こんなふうに気付かずにしだいに具合が悪くなっていくのだろうか。

 首と脇に氷を当てる。電子レンジで蒸した玉蜀黍と蒸し鶏のサラダが今日の夕食。飲み物は野菜ジュース。
 例年なら今は梅雨明けの頃だろうか。結局今年は梅雨があったのかなかったのか、よくわからない。
 村上龍が原作の映画「69」を観てから眠ろうかと想う。

 此の夏は何もない夏だと想う。世界がどうだろうと、自分に何が起ころうと、自分から何もする予定を入れていないので。ただ予定は未定。

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七夕に


 今日は七夕だったと夜になって知り、あれから壱年しか経っていないことに気付く。
 前日看護師さんに短冊を弐枚渡され、亀の絵も描いてね、と言われたことをはっきり覚えている。
 猫の絵が付いたコップに、うさぎの画が付いたファイルに、整理用に置いたお菓子の缶に、・・・。此の部屋に来ると癒されると看護師さんは言って、洗剤やシャンプーの詰め替え容器にあたしが描いた亀の絵も気に入ってくれたけれど、可愛らしいものを好むのは彼の方だった。ふふっと笑うと、遠くなっていた時間は近くにやってきた。今度は壱年も経ったんだと想ってしまった。

 日の出も夕焼けも星も月も見ない日が続いている。
 ・・・・・・・・・・。
 ちょっと言葉が出てこない。

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休日


 平日も休日もなく過ごしてきて、どれくらいの日々になるのだろう。
 朝、することを済ませ、暑さが厳しくなった時間彼の部屋を冷房し、録画したきりになっている映画を観ることにした。
 午后になり外が暗くなったのが気になっていた。そしてとうとう其れはやって来た。激しい雷雨だった。
 
 死ぬ気になれば云々、死ぬのだから云々、と考える人もいるが、あたしはひとつひとつの気持ちを別々に考えることが多い。正直もう此の世に殆ど未練はないが、雷に打たれて絶えてもいいと云う気持ちと、恐い気持ちを一緒にすることはない。またできない。それだから、いい気持ちも悪い気持ちも、良くも悪くも、ひとつの気持ちを忘れずに抱えていたりするのかもしれない。
 あたしの初めてのともだちは猫だった。猫にも気持ちがあり感情を表してくる。けれど猫は人のように壱線を越えてくることはなかった。なのであたしは安心して自分の気持ちを放っておけた。

 壱日の殆どを猫と過ごした日々と、彼と過ごした日々は似ている。
 あれからどれくらい経ったのか、ぼうっとして過ごす時間が多くなった。ただ、悲しみを悦びで救うことはできないし、悦びは悲しみに脅かされはしない。

 今日観た映画は「遠い夜明け」。ジャーナリストとビコーの話。あたしの休日によく似合っていた。

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やわらかな時間、やわらかな日々


 夜中に目覚る。開け放した扉の向こう、まだ彼は起きていて自室で何かしているのだと想った。次の瞬間そうでないと判るが、廊下の行き当たり、彼の自室の入り口の辺りに人の気配を感じた。
 いつかのことは何だったのか。夢を見ていた筈が途中から妙に生々しかった感覚が頬や腕や指先にまで今も残っている。夢は夢として判るのに、あれからはっきりと捉えられないものに出逢うようになった。
 誰かに話そうかとも想ったけれど、日記にもいちいち記さなくてもいいかと想う。好きなことは日常に。

 夏の朝は大概彼に起こされ、彼が珈琲を淹れる横であたしはフライパンに卵を落とす。亀たちはもう外へ出ていて、洗濯物を干しながら挨拶をして。散歩がてら、ふたりで何処へでも徒歩で買い物に行き、帰ったらアイス珈琲を作って飲んだ。必ずアイスクリイムを入れて。
 其れはやわらかな時間、やわらかな日々。日常は好きに自分で作ることができる。(其れが脅かされるとはなんなのか、侵されるとはどんなことなのか、奪われるとはどう云うことなのか。考えるとたまらなくなる。)

 おやつにする?、と今もあたしは彼に声を掛ける。今日も暑い。

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物の傷み


 紺なら着られそうだと壱枚残した彼の麻の半袖シャツを衣文掛けから外し、袖を通し鏡の前に立つ。裾が随分と下にくるのも袖が大きいのも仕様がない。袖を捲り、こうすればと笑った後で襟や肩の褪せた色に気付く。襟なら裏返ししたり取ったりして直すことができるけれど、其れ以上は自分には無理で、お疲れ様と言いたたんで部屋の隅に置いた。
 サンダルも同様だった。サンダルなら大きくてもと想ったのに、結構傷みがあり、入院生活が長かったのを物語っていた。

 物の傷みは人が生きて呼吸し動いていた証。
 物を利用するだけでは最小限のことしか手に入らないばかりか、後で痛い目に合うのは相手が物でも人でも変わりないように見える。少なくとも一緒に過ごしているのだと想えば、やさしい気持ちを与えてもらえる。
 いずれ全て忘れ全て無になるにしても、だからと言い此の生の瞬間をどうして無下にできるだろうか。瞼の裏に残るのは鮮やかな記憶、一瞬の出来事、ビューティフル・エネルギー。あたしにも幾つもの傷ができてしまったけれど。

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