例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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竜胆の立ち姿


 竜胆を壱輪買い求める。紺色をした真っ直ぐな姿は清々しく、電車とバスに揺られた疲れがすっと引いていく気がした。
 コップ壱杯の水をごくごくと飲んだ後、鏡の前に立ち髪をほどき鋏を入れる。既に参度鋏を入れている。なのに気に入った長さにならない。想ったより伸びてしまっていたのと不器用<13、な自分にこんなときは何とも言えない気持ちになる。
 今日は思い切ってうんと鋏を入れた。・・・筈だったのに、鏡に背を寫すとやはり長かった。諦めずにまた鋏を入れたが、気に入らない。性懲りもなく参度目に挑むと、これならと想えるくらいの長さになった。
 バケツを覗くと笑ってしまうくらい自分の髪が溜まっている。ふうっと息を吐き、冷蔵庫を開け水を取り出しもう壱度コップ壱杯の水をごくごくと飲んだ。そうした後髪をきゅっと結わえ、口もきゅっと結んで背筋を伸ばし、鏡の前に立った。
 例えるなら竜胆。姿を見習いたい。
 彼の寫眞の脇に飾ると、竜胆はますます凛とし眼に映った。

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桐箪笥の思い出


 桐箪笥は残そうと想っている。着物を入れる為の箪笥は上段と下段に分かれ、上段は扉の内側に引き出しがあり、下段は扉はなく普通に引き出しになっている。引き出しは壱段壱段が浅く、下段は引き出し毎鍵が掛かるようになっている。着物以外の物を入れても重宝しそうだと想えた。
 桐箪笥は元は町医者だったエズラ先生の家にあったものだと聞いている。扉の内側に何だか立派なことを記したシールが貼られている。此れを眼にする都度、躯も声も大きく豪快とも言える、それでいてやさしかった先生のことをこれからも思い出すのではないかと想う。
 母の家のある町へ行き、本当に極たまに先生の家の前を通ることがある。以前とは様子が異なり、然程面影は残ってないけれど、奥から先生の声が聞こえてきそうでなつかしい気持ちに襲われる。
 いい気持ちやいい人は何度でも同じように思い出せる。
 今朝は、齢の離れた、おねえちゃんとも言えるいとこが自分で作ったと言うトマトを持ってきてくれた。切らずにそのままかぷって食べるとひりでに笑っていた。

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歯車を戻す


 母の家に着き、作業を開始する。
 まず、予め壱箇所にまとめておいた廃棄予定物を種類毎袋に入れたり縛ったり外へ移したりした。其の後、台所に置いていたステンレス製の大きなワゴンを外へ運んだ。下に貨車が設置されているので楽に運べると想っていたら、全く貨車は動かず、少しづつ移動させていくしかなかった。玄関を下りるのに弐段になっている階段を下ろしていくのに結構苦労したものの、外へ置くと台所も外の空間もすっきりし満足する。

 デイサービスから戻った母に、実は、と思い切って切り出した。
 母の家なので何も言わなかったけれど洋室の壁板も縁側に塗られたペンキもみな気に入らなかった、と離すと、叔父が相談もせずに勝手にしたのだと教えられた。
 こんなものでいいだろう、と云う心は物に現れる。それでも叔父が合鍵を作り黙って母の家に出入りしたり物や金銭を持ち出すことをしなかったなら、素人だし親切でしてくれたのだし元々大雑把な性格なのは知っているしと想い有難い気持ちが揺るぐことはなかっただろう。
 残念な気持ちも、信用も、簡単には戻らない。

 母の家で過ごすときは、ずれてしまった歯車を元の位置に戻すことを想い描き動いている。(そんなとき日常生活に支障をきたすほど神経質な自分がちょっと退いてくれるのが嬉しかったりする。)

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終わらない歌をうたおう


 必要なものを思い出し夕刻伍時半に家を出る。こんなことは本当に久し振り。いつもなら亀を家に入れ、そろそろ雨戸を閉めようかなんて想っている頃。

 公園を横切ったとき、風が吹いてきた。夕刻なので日焼け止めだけにし日傘はさしていない。雨傘も用意してこなかったので心配になる。こんなとき彼とふたりだったら何も心配しない。雷雨の中びしょ濡れになって歩いても、何故こんな目にともついていないとも想ったことはなかった。雷が怖く、ぎゃあぎゃあと五月蠅く声をあげることはあっても。
 散歩をしていても十中八九遠廻りをする彼に、ぶーぶー文句を言ったり、彼の前ではおとなしい自分など何処かへ行ってしまっていた。好き勝手に振舞っていただけに、記憶は殆ど愉しかったことで埋まっている。
 雨が降るか、土砂降りがくるか、心配になるなんて、と笑う。ずうっと昔そんな心配していたことがあった気もするけれど、忘れてしまった。

 今日はチバユウスケの誕生日。
 あたしは未だに父の齢を数えている。終わりなんてないのかもしれない。
 帰り道、駅を横切ったときまた風が吹いてきたので、雷雨になるかもしれないから来て、と彼にお願いする。これでずぶ濡れになっても家まで歩けると想った。

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ひとつと無数


 昨日壱日氷を当てていたのがよかったのだろうか。朦朧としていた意識がはっきりしてきた感じがする。体温調節がうまくできなくなり、毎年のこととは言え、体温が上がった直後は躯がきつい。
 頭をさすると天辺から前頭にかけ痛い。然も硬くなっている。驚いて試しに揉んでみると、しだいに傷みがとれてきて安堵する

 午前中残そうと想うレコードを段ボール箱に詰めていくと、水のペットボトルの肆箱になった。処分しようと想ったのは其の倍ある。棚に並べるとたいして枚数がないと想うのに、他のものでも何故箱が想う以上の倍できるのだろうと想う。
 「もう此れ以上は無理。」、と声に出すとすっきりした。そうして笑っていたのに、ボックス・セットの存在を忘れていて愕然とする。自分のものはローリング・ストーンズでもストリート・スライダーズでも箱がレコードのサイズなだけで中身はCDとわかっているけれど、彼のものは全て把握していない。「大瀧詠一だけ残せばいいよ。」、と声に出し頬に手を当てる。
 残すものを探っていく作業。だいじなものが何かを改めて知り自分に刻んでいく過程を、あたしは毎日見ているのだろうか。

 「究極のものをあなたは求めているんじゃない?」、と少し嫌味雑じりで言われた言葉に今ならこう返すだろう。たったひとつのものでもつきあっていくほど、観察していくほど、知らなかったことを知り世界が拡がり、自分が少し豊かになっていくような気がして面白いの、と。

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