例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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睡眠時間


 目覚めたのは、いつも通り。陸時だった。
 昨夜は眠気が限界に達し捌時半に布団に入った。汗をかき拾壱時半に壱度目覚めたが、予め枕元に置いていたタオルで額の汗を拭うとすぐに眠ってしまった。計玖時間余り眠っていたことになる。玖時間睡眠をとると気分がいい。自分に合っている睡眠時間はやはり玖時間らしい。

 風呂からあがったら寝てしまえばいいのだろうが、それからぼうっと時間を過ごし拾壱時を過ぎてしまう。尤も冬であっても風呂からあがってすぐには眠れないので、夏なら余計ではないかと想う。他人に驚かれるほどの冷たい躯が自分には気持ちがいい。
 あたしの躯にふれる都度、××ちゃん冷えているよ、と彼は言い、あたしはあたしで彼の躯に、熱くて気持ち悪い、と言った。それくらいなので、他の人と手を繋いだりハグしたりすることは余りなかった。今想えば、これでよく長くつきあえる異性ができたものだと感心する。

 若い頃は拾弐時間寝ていて、其のことで喧嘩になったことを思い出す。今なら原因を知り説明ができるけれど、他人と気持ちよく過ごすのにだいじなことはそう云うことではないのだと想う。
 ぼうっとしてしまうの、と言ったなら、うん、とだけ彼は応えるだろう。今はそれにあまえていよう。

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無言


 昼食はとうもろこし。
 いつのまにか眠ってしまったらしく、気が付いたら椅子弐脚にまたがり横になっていた。観ていた映画は丁度終わったところだった。
 昨夜もよく眠れなかったことを残念には想ったが、何遍も観ている映画なことと改めて録画したことでそれほど気にはならなかった。

 場所でも映画などの作品でも大概静かなものを好きになる。
 村外れの古い家屋。聞こえてくるのは風の音と野菜を洗う水の音。物語るのは人物の口から発せられる言葉でなく、まなざしや指や足の動きが発する言葉。ゆっくりと流れる時間。

 人物と同じように底にある悲しみを自分も自分の隣に座らせ、皿の上のとうもろこしの残骸を淡々と新聞紙に包み袋に入れる。
 茶色いカップに飾ったままにしてある花束になった唐辛子が、小さな焔のように眼に入った。

 開け放った台所の出窓の向こう、のうぜんかずらの朱い花が咲く頃、あたしの周りも好きな映画のようにもっと静かになればいいと想う。

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百日紅の花に


 買い物に行く道すがら百日紅の花を眼にする。
 毎夏楽しみにしていた或の百日紅も花開いただろうか。大きな大きな樹が花をつけると、それはそれは見事なことになった。いつか百日紅の花に隠した嫌な記憶は塗り替えられ、百日紅と言えば今は其の下で彼と過ごしたことを思い出す。

 自分のことで怒ったことが、いつのまにか消えるようになっていた。相手に対し興味のひとつもなくなり、存在さえぼんやりとしか残っていない。壱方で誰かのことで怒った記憶はいつまでも残っている。どんなに時間が経っても相手のことを思い出すと嫌な気分になり、吐き気をもよおしたりさえする。
 神経質と云う性質は、齢が上がるに連れ薄れる人とより強く出てしまう人に分かれると聞いた。自分は前者ではないかと想う。一旦引っ掛かったものが、引っ掛かりをなくす。少しでも消えていくものができてきたのはいいことだろう。
 できれば、残したいことだけを残していきたい。

 落ち着いたら絵を描いてみようか、などと想う。或の百日紅を、或の絵具の、或の紅色で。

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珈琲ゼリー


 湯の温度がいけなかったのか、蒸らしがいけなかったのか、挽き具合と湯の量が合っていなかったのか、今日は珈琲がおいしいと想えない。午前中ひたすらぼうっとした後で帰省で疲れたせいだと気付く。
 着替えて外に出てパンを買ったついでにゼラチンを買った。
 珈琲ポットに残っている珈琲にゼラチンを混ぜ、ゼラチンが溶けるまで軽く温める。器は客用の白い珈琲カップ。ふたつ用意してゼラチンを溶かした珈琲を入れて冷ました後冷蔵庫で冷やすと、全くあまくない珈琲ゼリーができあがった。

 好みの菓子に出逢ったときの幸福感は、猫を抱くときの気持ちに等しい。それから彼と手を繋いで歩くときの気持ちに、ライブを観ているときの気持ち、朝の光をゆっくりと眺めているときの気持ち、他人のやさしい心にふれたときの気持ち、すぐに皺のできてしまう衣類を洗濯して上手に乾かせたときの気持ち、左に転がれと願ったことが左に転がったときの気持ちに似ている。

 できあがった珈琲ゼリーを彼に出すと、生クリイムはのせないの?と言われた気がした。それで、余っちゃうでしょ?と返事をしたら、シュークリイムを買ってきて一緒に食べたら?とまたそんなことをと想うことを返され、ひとつは冷蔵庫にそのままにしてある。
 明日はシュークリイムを買いに行かないと。

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竜胆の立ち姿


 竜胆を壱輪買い求める。紺色をした真っ直ぐな姿は清々しく、電車とバスに揺られた疲れがすっと引いていく気がした。
 コップ壱杯の水をごくごくと飲んだ後、鏡の前に立ち髪をほどき鋏を入れる。既に参度鋏を入れている。なのに気に入った長さにならない。想ったより伸びてしまっていたのと不器用<13、な自分にこんなときは何とも言えない気持ちになる。
 今日は思い切ってうんと鋏を入れた。・・・筈だったのに、鏡に背を寫すとやはり長かった。諦めずにまた鋏を入れたが、気に入らない。性懲りもなく参度目に挑むと、これならと想えるくらいの長さになった。
 バケツを覗くと笑ってしまうくらい自分の髪が溜まっている。ふうっと息を吐き、冷蔵庫を開け水を取り出しもう壱度コップ壱杯の水をごくごくと飲んだ。そうした後髪をきゅっと結わえ、口もきゅっと結んで背筋を伸ばし、鏡の前に立った。
 例えるなら竜胆。姿を見習いたい。
 彼の寫眞の脇に飾ると、竜胆はますます凛とし眼に映った。

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