例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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失ったものと得たものと


 和室の壁の貼り替えを決めた頃、畳の壱部が下がっていることに気付いた。一緒に工務店にお願いしようか、親戚の畳店に相談しようか、今日も母と話していると、目打ちを使えば畳をあげられると言うので、鋳物のバケツを探る。目打ちと云う名こそ知らなかったが、見当はつく。同時にとうになかったことに気付く。あれも盗まれてしまったのだった。
 佰圓均一店で購入したキリを手に和室に戻ると、母はあたしができるか心配するが、試みてみなければわからない。適当な箇所にキリを射し持ち上げると畳は床から容易に離れた。
 床板に何の変化もなく、問題は畳自体だとわかる。後で畳を替えればいいとあたしが言うと、、場所を換えればいいと母が言うので他の場所に入れようとしたが入らない。畳の大きさが皆違うことを初めて知った。此れとなら収まるからと交換し畳を戻すと、部屋が汚れていることに気付き笑う。
 骨を折って損したねとあたしを労わる母に、首を振る。床板が何ともなってなかったことを知れたのと、畳が容易にあげられることを知ったあたしは上機嫌になっていた。

 父が残した目打ちも戻ることはないだろう。彼も是も無くなった。けれどまだ残っているものがある。彼ら、よりうまく使えるようになってやろう、と想う。それだけで人は倖せな気持ちに包まれるものなのかもしれない。

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颱風の日に


 颱風の雨に降られずに母の家に着くことができた。

 最後に柱から時計を外し、仏壇の前に座るのに置いた椅子を残し和室は空になった。其の後で以前外して別の部屋に置いたままにしてあった弐枚の障子を元に戻す。
 次に帰省したときには砂壁に似せた壁紙から、薄っすらと紅色がかった壁紙に替わっている筈。押し入れの障子も中に透明のアクリル板を入れた戸に替えるので、部屋全体が明るくなっているだろう。
 部屋の様子を見てペンダント照明も替えてしまおうと想う。
 次の帰省もすることは一緒で、今度は台所に残したものを和室に壱時移動させなければ。

 雨は強く降ったり弱まったりを繰り返している。門扉と玄関の入り口の間にあるシャッターを久し振りに下ろす。
 今も此の家は父に守られている。自分なりにしかできなくとも、だいじにしていこう。

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8月15日


 去年の今日も暑かった。そして今日も暑い。
 今年は日焼けしていないと想っていたのに、腕が真っ黒になっている。朝壱番で亀の水を取り替えているのだからそれほどは、と毎朝油断した結果だろう。それにしても今日まで自分の躯を見ることを忘れていた。いつから見ていなかったのだろう。

 アイフォンの保護フイルムに罅が入っているのがわかったのと、先日投函したものに添付書類が必要だと連絡を受け、急遽出掛けることにする。
 雲の拡がる空。満開の百日紅。そして隠れるように咲いていたのうぜんかずら。

 陽が落ちて桃を食べた。滴り落ちる汁に禁断の果実を想う。
 桃があたしの躯を駆け巡る。暴れる血。こんな日は狼になった夢を見られるかもしれない。いつか夢の中で逢ったピアノ弾きは今も森の近くで暮らしているのだろうか。恐れを知らないのでなく本当の恐れを知る或の眼。たったひとりできた友人。彼の前でまるで怯えた猫のようだった狼のあたし。

 熟れた夏が敏感になった躯を撫でている。
 今日で壱年経った。彼の白い骨を指の先で撫でて夜が更けていく。

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365日


 今日で365日ひとりで過ごしたとも言えれば、あれからも一緒に過ごしてきたとも言える。今日まで365日感心しない暮らしをしてしまったとも言えれば、ぎりぎりのところで暮らしになっているのはなかなかだとも言える。
 彼とこれからも暮らしていくと云うたぶん自分にしかわからない想いと、或の日××さんには生きていて欲しいと言われた言葉が、自分に絡みついている。均衡の悪い樹木に絡みついた蔦を想像する。蔦のお蔭で倒れずに済んでいる樹木を。あたしが其の樹木なら蔦をいとおしいと想う。蔦はあたしがいなくても生きていけるけれど、どうせなら蔦の意図しないところで蔦に花が咲くようにと願う。
 壱日のうち数時間は時が止まっている。そして、数時間は本当によく動いていて、自分で自分に泣けてくる。本人は想っていなかったのかもしれないけれど、あたしから見たら多感な時期に自身が想い描いた通りの生を彼は生きたと想う。其れを見てしまったら、自分もそうしたいと想うのは自然かもしれない。
 夢は?と訊かれ、生きる姿勢と応えていた自分。好きな言葉は?と訊かれれば、初期衝動、と。彼を想うと歩き始めた処へ戻っていくような感覚。
 枯れそうで枯れない竜胆が、今日もきれい。

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ピーチティー



 彼におはようと朝の挨拶をすれば途端に嫌な気持ちが消える。朝は彼のように生きようと云うことしか頭になく、昨日買った桃をひとつを半分にして食べ、皮と種を使ってピーチティーをこしらえる。
 あまい匂いに謎が解けたかのよう、自分には理解不能だったものの片付けがひと種類だけれどできた。

 午后、録画してあった映画を観る。「イングロリアス・バスターズ」。タランティーノ監督、脚本。機知と毒。えっ、て言うくらい面白かった。2009年の作品だけれど初めて観た。
 急遽上映を取りやめになった映画があったと先日知ったが、制作費と興行収入の問題だそうで、上映はないが配信はあるようなことが記事に書かれていた。できれば映画は映画館で観たい。

 ピーチティーにあたしの毒を吹き込む。喝采されるくらい素敵な皮肉になればいいと想い乍ら。

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