失ったものと得たものと
2024, Aug 19
和室の壁の貼り替えを決めた頃、畳の壱部が下がっていることに気付いた。一緒に工務店にお願いしようか、親戚の畳店に相談しようか、今日も母と話していると、目打ちを使えば畳をあげられると言うので、鋳物のバケツを探る。目打ちと云う名こそ知らなかったが、見当はつく。同時にとうになかったことに気付く。あれも盗まれてしまったのだった。
佰圓均一店で購入したキリを手に和室に戻ると、母はあたしができるか心配するが、試みてみなければわからない。適当な箇所にキリを射し持ち上げると畳は床から容易に離れた。
床板に何の変化もなく、問題は畳自体だとわかる。後で畳を替えればいいとあたしが言うと、、場所を換えればいいと母が言うので他の場所に入れようとしたが入らない。畳の大きさが皆違うことを初めて知った。此れとなら収まるからと交換し畳を戻すと、部屋が汚れていることに気付き笑う。
骨を折って損したねとあたしを労わる母に、首を振る。床板が何ともなってなかったことを知れたのと、畳が容易にあげられることを知ったあたしは上機嫌になっていた。
父が残した目打ちも戻ることはないだろう。彼も是も無くなった。けれどまだ残っているものがある。彼ら、よりうまく使えるようになってやろう、と想う。それだけで人は倖せな気持ちに包まれるものなのかもしれない。