齟齬
2025, Apr 30
朝はローリング・ストーンズのデッカレーベルのものを。昼は甲斐バンドを。夕刻になりストリート・スライダーズのアルバムを聴く。
喜怒哀楽関係なく聴ける音楽がある。ただ甲斐バンドは聴くと何処までものめり込んでしまう。其れは自分にとって危うい音楽で、聴くときを多少選んでいる。ストリート・スライダーズは其の逆で、のめり込んでも恐いくらいに冷ややかになる瞬間があり、時を選ばない。
普通。常識。其の認識から生まれる齟齬。言葉でも感覚でも音でも。
明日工作に使うから青い紙と赤い紙を持ってくるように、と言われたなら、全面青と赤の用紙を用意するものなのかもしれないが、自分は海が印刷されている用紙だの壱部に赤が使われている用紙を用意する。此れしかなかったの?と問われ、此れが壱番気に入った青であり赤だったと応えると相手は大抵困ったような顔をする。
そうして弐枚づつ用紙を用意することを覚えていったけれど、そうすることで自分の感じた他人との齟齬が大きくなっていったのかもしれない。
ストリート・スライダーズの寫眞に気持ち悪いと言った、かつての友人。あたしが美しいと言った歌がROSSOのシャロンだと知り、逃げるように離れたあたしに何度も話し掛けてくれていた人。
あれは最後の音が耳に届いた瞬間。ずれが存在していることとずれていくことの違い。
夫に興味ないと手紙に書いたら、干渉しない関係なんだねと返してきた言葉を(あたしの癖まで)読む素敵な友人。
夕刻になっても外は風が強いまま。通りを転がっていく紙屑を眼で追っていたけれど、そのうち視界から消えいた。