例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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晩餐会


 昨日と同じに夕食はひつまぶしになった。
 安価で購入できる券を手に入れ参枚購入し、うちで壱枚、残り弐枚をいとこたちにおすそ分けした。すぐに食べなくともよかったのだろうが、丁度紫蘇も茗荷もあり今日になった。但し彼の好きな山椒がなかったことに気付いたのは、食べ終わってからだった。

 小皿に父と彼の分。母もひつまぶしならひと口味見するだけでなく、壱食分食べたのだろうか。
 どうせならワンピースに着替えてもよかったかもしれない。
 カエルの人形たちを客人にしての晩餐。デザートにアイスクリイム。音楽をかけてもよかったなと後から想う。

 質素にでも豪華にでも、厳かにでも賑やかにでもできる夕食の時間。ただお酒を飲む彼のように弐時間も参時間もかけることはなく、廿分もあれば終わってしまう。大勢でもひとりでも愉しむことを本当に知っていたのは誰だったのか・・・。
 ときどき彼の為だけに、あたしは小皿を用意するようになった。

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曇り空の日の世界


 晴れた日より小雨の日の方が好きだった。雲ひとつない空の色がいい色だと想ったことがなく、雨に濡れ輝いて見える樹木の色が好きだった。空気もひんやりとやわらかく、雨で出掛けることをやめたときには別世界に閉じ込められてしまったように想え胸が弾んだ。
 曇り空の日も好きになったのは、日光アレルギーになってからだった。
 昨日に続き今朝も気温が丗度に達せず空も曇っているとわかると、自転車を出さずにはいられなかった。大きな橋を自転車で渡る。行きは自転車に乗って、帰りは歩きで。
 高い場所にいると、頭が何処かへ持っていかれてしまう。感覚は残り、肌に当たる風や眼に映る草や川の緑に釘付けになっている。飛んでもいいなと幾度も想ったのだけれど・・・。
 橋を下りたところにある店で、小岩井のヨーグルトを買った。壱年振りとか弐年振りになるのかもしれない。それくらい振りで買うと、他の知っているヨーグルトとの違いに驚かされる。容器を直接口に当て、其れを今朝出逢ったものを自分の内にしまい込むかのようごくごくっと飲んだ。

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自転車に乗って


 丗度を下廻った気温。昨日烈しい雷雨に備え北側ばかりか南側のシャッターも下ろし、余計に部屋がうす暗くなっている。そのせいか朝がより涼しく感じられ、ふいに家を出たくなる。
 線路沿いを何処までも行けたらよかったのだけれど、線路なんて通ってなく、知らない道を自転車で走った。走っている道が県道なのかどうかもわからない。高く大きな建物が何であるかも知らない。ちょっとした冒険。そんなふうに想えて昔観た映画を思い出す。それから彼や彼の友人たちと過ごした夏の日のことを。
 いつだって今は此の瞬間にしかない。そして過去のどの瞬間にも弐度と逢えたことはない。あたしの内で交錯する過去。夏かと想えば、次の瞬間辺りは壱面の雪景色になっている。絶え間なく現れる時間、絶え間なく過ぎ去っていく時間。速さについていけないと想った瞬間脱げた帽子がうなじをくすぐり、自転車を止め帽子をかぶり直す。
 未来に夢なんて求めない。此の瞬間に命を託すだけ。揺らしてるだけ、揺らしてるだけ・・・。帰りはBLANKEY JET CITYの歌を口遊み自転車を漕いだ。

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欠けていく器


 来たよ、と言う声に反応し母が笑う。丁度リハビリが終えたところだと云うので、疲れを問うと、疲れたが明日は壱日寝ているからと答えが返ってくる。
 其のあと始まった母の話は唐突に想え今回其処に認知機能の衰えを感じたが、壱週間前のことを思い出すと時系列がおかしくなっただけで、言語や認識や理解力に衰えは見られない。あたしに対し、たいへんだね、ありがとう、と労ることに変わりはなく、時間になり看護師さんがあたしを呼びに来ると悲しそうな顔をしたあとで、あと壱回は必ず来なきゃ駄目と言う。それには、壱回でなくもっと来るよね、と看護師さんと笑ってしまった。
 こちらが母の時系列の認知の衰えをわかれば会話が成り立つように、これからも明らかに認知症と判断されるまではそうしていけばいいだろうか。高齢者に対し少し首を傾げることがあると早急にボケていると判断する者もいるが、逆にそう云う人の方が理解力が足りないと想ってしまう。

 リハビリ計画の用紙を今回初めて出されたが、車椅子に乗ることが目標になっていた。
 齢をとるにつれ少しづつ何処かが弱くなっていく。怪我や病気で急に弱くなったとして、命ある限りいきなり全て無くすわけではないだろう。
 欠けていく器、零れていく中身。けれど、あたしに残る誰かの記憶は熟れた果実のように重くやわらかだ。

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ナイフと信用


 ポリエチレンの手袋にクッキングペーパー、サランラップにアルミホイルに台所洗剤に除菌スプレーにマスク・・・。貯えが多く、食料品以外の出費が少ないことに助かっている。そのくせ無いものは無く均衡の悪さが眼につく。
 母がお茶の缶など、あちこちにまとめて入れた小銭をひとつにまとめ、伍佰圓玉と佰圓玉がないことに嘆く。母が退職するときに頂戴したと云う大きなゴム通しはあたしもお気に入りだった。あれは店で買えるものでないだけに、針箱を開ける都度思い出してしまう。何せ母に譲った限定品のボールペンひとつ、あたしは憶えているのだ。
 あと拾年くらいは身勝手な振舞いを時々思い出すのだろう。けれど其処に既に顔はなく、蛆のようなものが蠢いているようにしか見えない。

 母が好きでよく飲んでいたサイダーの小さな缶を開ける。此れが最後のひとつ。
 流石に今では玄翁を抱え眠ることはなくなったが、ナイフに鋏、包丁、鎌はすぐに手にできるよう配置している。そうして闘うことと信用の大きさを自身に刻んでいる。

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