例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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欠けていく器


 来たよ、と言う声に反応し母が笑う。丁度リハビリが終えたところだと云うので、疲れを問うと、疲れたが明日は壱日寝ているからと答えが返ってくる。
 其のあと始まった母の話は唐突に想え今回其処に認知機能の衰えを感じたが、壱週間前のことを思い出すと時系列がおかしくなっただけで、言語や認識や理解力に衰えは見られない。あたしに対し、たいへんだね、ありがとう、と労ることに変わりはなく、時間になり看護師さんがあたしを呼びに来ると悲しそうな顔をしたあとで、あと壱回は必ず来なきゃ駄目と言う。それには、壱回でなくもっと来るよね、と看護師さんと笑ってしまった。
 こちらが母の時系列の認知の衰えをわかれば会話が成り立つように、これからも明らかに認知症と判断されるまではそうしていけばいいだろうか。高齢者に対し少し首を傾げることがあると早急にボケていると判断する者もいるが、逆にそう云う人の方が理解力が足りないと想ってしまう。

 リハビリ計画の用紙を今回初めて出されたが、車椅子に乗ることが目標になっていた。
 齢をとるにつれ少しづつ何処かが弱くなっていく。怪我や病気で急に弱くなったとして、命ある限りいきなり全て無くすわけではないだろう。
 欠けていく器、零れていく中身。けれど、あたしに残る誰かの記憶は熟れた果実のように重くやわらかだ。

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ナイフと信用


 ポリエチレンの手袋にクッキングペーパー、サランラップにアルミホイルに台所洗剤に除菌スプレーにマスク・・・。貯えが多く、食料品以外の出費が少ないことに助かっている。そのくせ無いものは無く均衡の悪さが眼につく。
 母がお茶の缶など、あちこちにまとめて入れた小銭をひとつにまとめ、伍佰圓玉と佰圓玉がないことに嘆く。母が退職するときに頂戴したと云う大きなゴム通しはあたしもお気に入りだった。あれは店で買えるものでないだけに、針箱を開ける都度思い出してしまう。何せ母に譲った限定品のボールペンひとつ、あたしは憶えているのだ。
 あと拾年くらいは身勝手な振舞いを時々思い出すのだろう。けれど其処に既に顔はなく、蛆のようなものが蠢いているようにしか見えない。

 母が好きでよく飲んでいたサイダーの小さな缶を開ける。此れが最後のひとつ。
 流石に今では玄翁を抱え眠ることはなくなったが、ナイフに鋏、包丁、鎌はすぐに手にできるよう配置している。そうして闘うことと信用の大きさを自身に刻んでいる。

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茄子と言えば


 茄子と言えば、揚げるでもなく焼くでもなく塩もみ。
 長茄子なのか育ち過ぎなのか、大きな茄子を壱本塩もみし、ご飯にのせて食べる。てんこ盛りになった茶碗はあっと言う間に空になり、今日の夕食も肉も魚も食べなかったけれどご飯を食べなかったわけではないし、と言い訳をして舌を出す。

 表は今日も乾いている。
 朝夕の水やりでは足りないのか、樹にもよるものの土がぱさぱさになっている。
 昔貰った奄美の寫眞集を開くと、歩き廻らないだけで自分たち動物と同じように呼吸していると想われる植物の姿がある。乾くことのない土が育てあげた樹木は大きく、強さを感じる。

 袋に入れたじゃがいも、吊るした玉葱、其の傍で茄子が眠る。此処に来て今日で幾日目になるのだったろう。
 どれだけの水を内包しているのか、未だにみずみずしく見える。
 奄美や屋久島でなくともいいから、また森へ行きたいと夢を見る。ぬかるんだ足元。昼間でもうす暗い空間。
 ねぇ、茄子、何処で生まれた?
 極楽鳥花から顔を出す蜥蜴と茄子が重なっていく。

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レモネードの朝


 起き抜けに死んでしまおうかと想った日も、洗面台の前に立つと崩れた生死が元に戻る。自分の内側で枯れかけた壱本の樹木が大地から水を吸い上げ、瞬く間に樹海をこしらえる。寝室から洗面所までの拾数歩、其の間知人皆に暑中見舞いを出そうと考えていたのに、気持ちは失せ浴室の窓を開ける。
 それからおはようと彼に声を掛け、寝室に戻り寝間着にしている綿のTシャツから麻のTシャツに着替える。着替えると樹海と繋がった足は部屋を駈け家中の窓を開けると、亀たちに餌をあげ水槽を外へ運んだ。

 和室に置いた町の防災ラジオから、今日も気温が高く・・・エアコンを・・・、と声が流れてくるが、窓を開けている昼間は軒下に出たり、打ち水や扇風機で過ごしている。
 腰は玖割程治ってはいるが、庇うせいか軽い筋肉痛になってしまった。
 口まで水を入れた如雨露が重い。参度繰り返し全ての花に水をやり終えたあたしを亀たちがじっと見ているが、体力は残ってなく遊ぶなんてできやしない。

 昨日弐回も泣いたことは亀たちにも秘密。
 炭酸水と檸檬ジュースでこしらえるレモネードは少し物足りなく、彼も好きだった国産檸檬の砂糖漬けを思い出し樹海の入り口を閉じた。

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とうもろこし


 壱本だけ買ってきたとうもろこしをレンヂにかけたあと、フライパンにバターを落とし焦げ目がつくまで炒める。最後にほんの少し醤油を垂らしたならできあがり。
 ふたつ小皿を用意し小さく切ったとうもろこしを乗せ、ひとつは父へひとつは彼へ持っていく。

 自転車で走る道にとうもろこし畑がある。
 すっかり大きくなったとうもろこしの間を走り抜けてみたい気持ちに駆られている。
 とうもろこしは夏の思い出。空も太陽も、あまくて、焦げている。

 小さい頃の彼に逢いたくなり、彼の小学校の卒業アルバムを出して、ひとりで笑う。此の人無茶苦茶可愛らしかったんだあ、なんて言って。

 ぎゅっと詰まった実。ひとつも零さないよう、がしがしと食べた。

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