例えば秘密のノートに記すように。

cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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ブラウンシュガー


 朝食のパンに黒すぐりのジャムをのせる。朝からあまいものを口にする。其れは冬の朝にしかできないこと。
 台所に電気ストーブを持ってこようとしたのに、今朝は暖かく、せっかくの黒すぐりのジャムなのに・・・、と笑う。

 冬は砂糖の味が好きになる。
 まるい硝子の保存容器に入れた茶色いざらめの砂糖を、いつ珈琲に落として飲もうか考える。此れはうんと寒くなった日の愉しみ。必ず一緒に牛乳も入れる。それまではブラック。

 午后になり眼鏡の受け取りに行った。薄紅色の枠を想い、生成りのケースと薄紫の眼鏡拭きを頂戴する。
 白い服に似合うだろうか。
 温めた牛乳にざらめの砂糖。粉引きの削り目の白いカップ。湯気に吐息に、冬の曇り空。包帯に捲かれるように冬に身を沈めたくなっている。

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溢れた水


 母から電話があった。
 彼女の話は聞く前から嫌な話だとわかっている。他人が辛いときに遠慮がなく思慮に欠ける人間の話を聞けるほど、あたしは心が広くない。
 切羽詰まったときがあったのかなかったのか、父はそう云ったことを口にしなかった。夫は切羽詰まったときだけ口を開いた。
 母のような人はたまにいる。つきあうと疲弊してしまう。
 ケアマネージャーだろうが民生委員だろうが警察だろうが役場だろうが、こちらに連絡してきても自分の用事がない限り母の家には行かないことにした。

 とうとう濁って溢れてしまったコップの水。
 貴重な時間をもっと夫と過ごすことに使いたかった、と今になって想うほど母の(帰省の)要求は度が過ぎる。
 家出して、あたしが倖せになったことを彼女は知らない。友人だった人たちも、連絡を取らなくなりあたしが倖せになったことを知らない。彼女たちのいない世界はとうとうと綺麗な水が流れていた。

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余分なものと傷と


 書籍にレコード、CD、カセットテープ、DVD。此れを全て無くしたら荷物が少なくなると想い、重ねた段ボール箱を数えようとして止した。これらを無くせば自身が自身でなくなる気がした。
 余分なものと傷。自身の大半はきっとそんなものでできている。

 父は持ち物が少なかった。奉公人が何人もいる裕福な家で育ったと聞いているが、彼の口からそんな話は聞いたことがない。
 長男の人は父親と絶縁するような形で家を出たが、次兄でなく最後に家に残った末の父が父親が亡くなったとき家にあるものから田畑まで全て金に換算し相続の手続きをしたと母が話していた。調度品の数々が家から無くなり、父に残ったのは空っぽになった大きな家と廣い庭だった。
 父は兄弟の話もしなかった。
 或のとき父は無常の想いを手にしたのだろうか、などと想う。

 あたしも普段苦しんだ人たちの顔を忘れて過ごすようになった。自分の持つ傷は愛しいものによってできた傷だと想っている。
 各段伏せるでもない傷こそ深く胸に刻まれる。

 お茶、飲まないの?、と彼の声が聞こえたので、台所へ行き萎びてきた林檎に包丁を入れた。

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ジャニスの眼鏡


 これからは適当なところで済ませるしかなくなると想い、眼鏡を作りに行く。
 現在の眼鏡の枠幅は107mmと小さく、細い枠でもレンズの厚みがそう気にならないのも気に入っている。同じように枠幅が小さく、形はラウンド、色はまた金と銀と茶を混ぜ合わせたようなものをと考えていた。今回色は薄紅色になったが、手に取ったとき軽かったので決めてしまう。
 度が強く壱週間くらい待たされることが多いのに、参日後にできあがると言われにやける。

 ラウンド型の眼鏡の切っ掛けはジャニス・ジョプリンだった。「ジョプリン・イン・コンサート」のジャケット寫眞の彼女が可愛らしく、以来ラウンドしか選ばなくなった。
 ジャニスのようには笑えない。けれどすっかり自分の特質になったまるい眼鏡が好きだと言える。
 変わらないものを沢山残しつつあたしは変わってきたのだろうし、変わり続けていくのだと想う。

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さよなら、さよなら


 世界中の何処かにきっと同じような人はいるだろう。けれど、毎日わんわん泣いた気持ちも死にたくなった気持ちも、周りの人は知らない。
 人はひとりで立っている。

 今日も処分するものが出た。大量の物を処分し続けている。其れはそれだけ出逢ってきたのだと想い、さよならを口にする。さよなら、さよなら。ありがとう。
 少しづつ何かに支えられ人は歩んでいる。

 感情は時折厄介なものとなる。他人の感情も自分の感情も半分信用しない。
 傷付いて終えたことには、さよならすらない。

 これからも一緒にいてねとキスをして、荷物の中にカエルの人形を詰めた。深淵があたしにもあるのならカエルの人形は其処に行ったのかもしれない。
 もう出掛けることない湖、遠くなった森。彼と過ごした日々の記憶も深淵に行っただろうか。

 人は何を自分のものにできるのだろう。決してわかることのできない他。
 ただ手を繋ぐのが好きだった。カエルの人形の手にふれる。これからも時々手を繋いでね・・・。
 ありがとうはあるのに、あたしたちにさよならがないのは何故だろう。

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