例えば秘密のノートに記すように。

       cancion-de-la-abeja(みつばちのささやき)          

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雨が消えたばかりの朝


 雨が消えたばかりの朝、湿った空気が気持ちよく深く息を吸い込み壱日を想った。最近他人が口にするようになった、日常が戻ってきた、との言葉に耳をふさいでしまう。自分はまだそんな気持ちになれない。其れに今の生活が変わったとして、戻る、には違和感がある。新たな日常が始まったと言われれば素直に迎え入れることもできようか。
 家族は昨日まで会社を休んでいた(休みになった)。伍月の連休や年末年始にも弐日以上続けて休みになることなど滅多になかったのに。今までなら在り得ないことにどう云う意味があるのか、弐度参度ともなれば嫌でも判ってくる。

 私はルワンダで焼かれたくない。此の頃「ホテル・ルワンダ」の映画をよく思い出す。

 今朝塵置き場は惨憺たる有り様になっていた。鴉除けの網が拡げられていたものの鴉に突かれてしまったのだろう。塵は路面に散らばっていたばかりか網に沢山くっついてしまっていた。塵置き場に置かれた箒で壱箇所にまとめようとしても残っていた雨を吸った塵は路面や網から容易に剥がれることなくまとめることさえうまくできなかった。頭を抱え壱度家に戻りビニイル袋とビニイル手袋を用意してもすぐに家を出る気になれず、サンダルを履いてもなかなか立ち上がることができずにいた。
 拾分程玄関に座っていたろうか。気を取り直し開けた扉の向こう塀の奥の丁度塵置き場の辺りに女性の姿をみつけた。同時に箒で掃く音が耳に飛び込んだ。
 彼女がいなければ間違いなくあたしは壱日を酷く重い気分で過ごしたろうに、事の最中彼女は幾度となくありがとうをあたしに向けていた。

 塵出しを終え洗濯機を廻しながら卓に頬杖をつき珈琲を飲み、夏休みは外国旅行をと街頭インタビューに応える人が映ったテレビを見ひとりひとりの日常を想いつつ、今日は世界中で何人の人が亡くなるだろうかと考えた。数字でしかわからないけれど其の人の笑った顔や泣いた顔を少しでも見てしまったなら泣かずにいられなくなるだろう。
 何処かで、暴動が起き、戦争が行われ、人生や生活が愉しまれ、人権は法律上のみ存在し、飢餓で苦しみ、希望が謳われ、前向きが称えられ、絶えず人が亡くなっているのが世界の常であったとして、例えばライブに出掛けられないうちは生と書くのを重苦しく感じている。

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